家から往復すると8キロほどになって、ちょうど良い散歩コースなのだ。
地魚を並べる店先には四季が現れる。その季節を覗きに行くのも楽しみの一つである。
妻と散歩がてら魚を物色して、良いものがあると買って帰るのはもっと楽しい。
この魚宇が大晦日を最後に閉店するという。
「えっ!」と絶句してしまった。
目の前の相模湾で獲れる地魚を中心に鮮度の良いものを並べていただけに、残念の極みである。
なぜ? どうして?
切り盛りしてきた亭主は団塊生まれのようで、さして年が変わらないと思うが、息子はほかの仕事に就いて後を継がず、本人も腰痛でボロボロだという。
江戸末期に初代宇之助が店を開いて以来の腰越を代表する、というか鎌倉・湘南ではそれなりの魚屋だったのだが、残念なことである。
戦後70年。身近から馴染みの店が次々に消えてゆく。
ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず…
川の流れまで途絶えてしまうのは何とも悲しい。
立原正秋に魚宇を描いた随筆がある。
冬になると先代がアンコウの口に鉤を引っ掛けて臓物やら皮やらを捌いている光景を描写したものである。
アンコウが水揚げされる度に仕入れてきて、道路に面した、江ノ電の車内からも見える所で繰り広げられる、おなじみの吊るし切りであった。
あの界隈を歩く度によく目にしたものである。
先代は寡黙な人だったが、目利きはしっかりしていたし、仕事も確かだったのだろう。繁盛店であった。
ただ、細面で痩せぎすなおかみさんは愛想が悪く、時に怖く、それで随分損をしていたのではないかと、今にして思う。
その息子は吊るし切りはやらず、愛想が良いとも言えなかったが、口数は少ないものの、行けば目で挨拶してきたのだが…
腰越には別に4、5軒魚屋があるが、どこも帯に短しタスキに長しである。
新鮮な地魚をぶら下げていそいそと家に戻る、あの浮き立つ気分が味わえなくなってしまうと思うと、寂しい。
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