それも顔写真入りで3段の見出しまで立っている。
イヤでも目に付くはずなのだが、実は翌日になって妻から「〇〇さんが亡くなったのね」と言われて初めて知った。
ボクは新聞を読む時、身近な地方紙の訃報欄から見ることが多い。
その日も社会面の左下の死亡欄に高校の先輩で横浜の経済界の発展に尽くした経済人の訃報を見つけ、そういえば1度だけ酒の席に招かれことがあったなぁ、と古い記憶を呼び覚ましたところだった。
思いがけない人物の訃報は、その経済人の訃報のすぐ上にあった。
それなのにまったく気付かず、見逃していた……。普通ならあり得ないことである。
記事を見逃した以上に、その訃報そのものがボクにとっては青天の霹靂だった。
その人物は今からちょうど35年前の1984年に入社した際、ボクが新しい赴任先で迎えた最初の部下になった1人である。
大学を出たての真っ新の新人で、初々しいと言えば初々しいのだが、俗に生き馬の目を抜くと言われた配属先では幼稚園児以下の存在に過ぎなかった。
それを毎日のように叱り飛ばし、突き放し、たまには居酒屋に誘って励まし…
人を育てることの何とシンドイことかをいやというほど味わわされた最初の1人だった。
そいつの良い所は一時期「引きこもり」を経験したというようにやや内省的な性格なのだが、何をするにも粘り強いということだった。
余計なことは一切口にしない寡黙な男だったが、物事を簡単にはあきらめない。
あきらめないでコツコツやっていれば何とかなると思っていたようだ。
そういう性格の上に経験が積み重なっていくのだから、その成長ぶりは確かで、ボクもだんだんと彼に仕事を任すようになった。
そしてボクが会社を離れた後、しばらくして取締役を務めるまでになってゆく。
それが、58歳にして現職のまま突然死だったという。心臓が止まってしまったのだ。
3、4年前の暮れの夕方、この男と同期でボクが最初に迎えた新人の1人が帰宅途中に自宅近くの交差点を渡っている時、右折してきた大型トラックに引かれて不慮の死を遂げていた。
こいつも最初は頼りない男だったが、亡くなった時は大きな出先の長を任される重責を担っていた。
そして今回……
よりによって、何だよお前ら! 途中で放り出すなんて……無責任だろ!
それにしても3段の見出しまで立って、しかも顔写真まで付いた訃報記事にまったく気づかなかったのが不思議でならない。
あいつは自分の死んだことをボクには知らせたくなかったのか、あるいはそれくらいこの世に心を残したまま逝ってしまったのか…などと思いは募る。
妻とは別居中らしく、子どももいないから特段の葬儀も行われないらしい。
会社が改めてお別れの会をするそうだが、やるせないことだ。
31日の今日は仕事を辞めた後も親しくお付き合いをしていただいた元知事のOさんの1周忌でもある。
春というのは時として悲しみを連れてやって来る。
近所の公園のヤマザクラも盛りを迎えている
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