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平方録

あんまり胸も騒がないんだよな

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

この世の中にサクラというものが全くなかったならば、さぞ春の気持ちはのどかであっただろうに…
一見嘆いているように見せかけて、逆説的にサクラに対する深い愛着心を隠そうとしない歌を詠んだのは平安の歌人・在原業平だった。

確かにこの季節になると、あっちのサクラ、こっちのサクラと尾根伝いに山から山へあるきまわったり、あるいは名所と言われるサクラの里を気にかけてせわしない気持ちにさせられたり、明日は強い風が吹き、雨も降りそうだなどと言う天気予報に接すれば、しまった、まだ見ていないぞ、散ってしまったらどうしよう…などと心をかき乱されたりするものだ。

だから、西行法師が歌に込めた本当の狙いは、何十本という満開のサクラが一斉に花びらを散らす、まさに息をのむような落花の瞬間を頭に描いてのことと知りつつ、

春風の花を散らすと見る夢は さめても胸の騒ぐなりけり

という歌に接すると、歌の狙いはともかく、西行さんだって一面では花が散ることを惜しんでもいるじゃん、と安心するのである。
一昨日の関東地方を襲った大雨と強い風はまさに、そうした花散らしの春の嵐じゃないかと冷や冷やしたものだった。
幸いに、咲き始めて間もない花々は良く風雨に耐え、頑張って枝にしがみついていたようでホッとさせられている。

とまぁ、ここまでは花の季節のボクの基本的な心持ちなのだが、今年は若干の温度差が生じてきているように感じられてならない。
去年はそれこそ、あっちの山こっちの丘、あっちの尾根こっちの山道と、天気さえよければカップ酒をポケットに突っ込んでヤマザクラを求めてふらついたのだが、なぜか、今年はその熱気がほとんど沸いてこない。
幸い、わが家の周囲には緑が比較的多く残されていて、そういう低い丘陵の所々にパッチワークのようにヤマザクラの白い塊が点在している。
今年はそのパッチワークを眺めるだけで、何となく満足してしまっていることに気付く。

足が悪いわけでもない。
花に興味を失ったということでもない。
どういうことかなぁ…とぼんやりながら考えてみると、これはやはりコロ公のせいなのかなぁとも思う。
自粛生活が続き、生活全般が知らず知らずの内に縮こまってしまっているんじゃないか…
そんなことが多少なりとも影響しているとしたら、ゆゆしきことである。

そんなところに「30数種類のサクラの大部分が見ごろを迎えていますよ」と都会のど真ん中のバラ園のガーデナーから知らせが届いた。
都会のど真ん中の人種のるつぼならぬ‶サクラのるつぼ〟のサクラもいいかもしれないなぁ、と思う。
明日は天気もよさそうだし、青空が広がるなら出掛けてみようか、という気になっている ♪








以上、わが家周辺のヤマザクラ

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