わが家でカツラの芽吹きが始まった(見出し写真)。
わが家の落葉樹の中で一番の早起きである。
奇麗なハート形をした葉はまだ1cm~2cmしかなく、生まれたての赤ん坊とは言わないが、どう見たって幼稚園にも上がらない前の幼児のようだ。
これがやがてしっかり成長し、秋の黄葉まで豊かな木陰を提供してくれることになる。
芽吹きに先立って紅色の花を付けた年があった。
黄色のマンサクの花のような形をしていて、細くて短い紐をぶら下げたような形をしているせいか、あまり目立つ花ではなかった印象がある。
それも株全体に花を付けたのかというと、ほんのごく一部の枝先だけで、しかも数えるほどしかなかった。
まだ若木なのでこの程度で、成長するにつれ花数も増えるだろうと期待していたが、もうかれこれ10年近く花が咲いたのを見たことがない。
あれはいったい何だったんだろうと、今更ながら不思議である。
東京五輪の聖火リレーが福島から始まった。
高校1年生の時に開かれた大会では胸をワクワクさせ、感動しながらテレビで観戦していた。
サッカー日本代表があの超強豪アルゼンチンを撃破した時のキツネにつままれたような気持ちはいまだに覚えているし、夜のゴールデンタイムに試合があった女子バレーボール決勝の中継でアナウンサーの「さぁ、金メダルポイントです! 金メダルポイント!」とマッチポイントを迎えて興奮して絶叫する声に、こちらも手に汗を握りしめていたことが懐かしい。
しかし今度のオリンピックには何の興味もない。
理由はアベなんちゃらが招致演説で全世界に向かってついた大ウソのせいである。
東日本大震災の発生からまだ間もない時期で復興などロクに手が付いていなかった時期に、「被災地が復興した証を世界に示す」と現実とはかけ離れた美辞麗句を並べたてたのだった。
そしてボクが心底嫌悪した発言が飛び出す。
「フクシマはアンダーコントロール!」
東電福島第一原子力発電所で起きた炉心溶融はコントロールはおろか、事故から10年経った今もなお、どこかどうなっているのかさえ完全には把握も出来ていない。
それがどうして「アンダーコントロール」なのか。
あの土地を奪われた人々はいまだに望郷の心を胸に抱いたまま、さすらいの日々を送っているんじゃないか?
何時になったら元の生活が取り戻せるって言うのか…
そんな象徴的な場所から聖火リレーを始める欺瞞!
バカにするにもほどがある。
ボクにはまともな神経とはとても思えない。
聖火リレーがスタートして尚、リレー参加の辞退者が続いている現実。
象徴的なのは最初のランナーだったサッカー・ナデシコジャパンのエースだった澤穂希さんだ。
有名な人も、それほど有名でない人も、次々と泥船から逃げるように辞退が続いている。
そして「私の県では協力できないかもしれない」と疑問を投げかけた島根県知事のその後がどうなったのか知らないが、こぞって盛り上げようなんて機運がないのは、この五輪を象徴しているいい例である。
振り返れば、一度決まったメーンスタジアム計画の白紙撤回と設計からのやり直し、大会エンブレムの盗作騒動、JOC会長の女性蔑視発言と辞職、開閉会式典の責任者の出演女性への侮蔑発言と辞任劇…開会式までもう時間がないじゃないか。
今回の五輪にまつわる不祥事、スキャンダルは枚挙にいとまがないくらいだ。
真っ赤な大ウソから始めた報いだろうよ。
これが2度目の東京五輪の実態さ。五輪精神を泥靴で踏みにじり、都民、ひいては国民の顔に唾を吐きかけて膨大な血税をドブに捨て去る…
こんなんで開催する価値がどこにあるって言うのさ。
こういうのをノーコン、ノーコントロールって言うんだよ。
東京五輪の参加資格を得た選手たちに何の恨みもない。
でも、「コロナに立ち向かって打ち負かした証」なんて白々しいキャッチフレーズも登場したが、なんのこっちゃだ。
外国からの観戦客は入国禁止だってさ。
それやこれやで無理して開いたって、出場する選手たちには微妙な空気は伝わるんじゃないのかね。
その前に、聖火リレーのトーチを掲げ、笑顔を振りまきながら走る無邪気な顔が哀れでならない。
カツラの芽吹き