二の鳥居から三の鳥居にかけて延びる段かずらから、すでに大勢の人がぞろぞろと八幡宮に向けて歩いていて、ノロノロ進むしかない。境内に一歩入るとその数はさらに増える。
もちろん三が日の比ではないのだが「へぇ~」という気分である。
今年は1歳になったばかりの赤ん坊を連れていたので元旦の初もうでは避けて長谷寺にしたが、例年は元旦の内でも比較的空いているとされる午前中にお参りしているのだ。
それでも1時間前後は待たされるのが常である。
天気が良いせいもあるのだろうが、平日でしかも世の中はもう動き出しているはずなのに。
三が日に休めなかった人や、あえて人込みを避けた人たちなのだろう。境内の華やぎは続いているのだ。
姫も握りしめていた五円玉を賽銭箱に投げ入れ、雑踏の中でボクにしっかりとくっついて手を合わせ、何事かお祈りしていた。
あえて聞かなかったが、感受性が豊かで観察眼も鋭いから、思うことや望んでいることはいろいろあるのだろう。
これから先、いつも願いごとがかなうというわけでもない。願いがかなわなかったり、思いが通じなかったりすることもあるだろう。
そういうことを乗り越えて、これから大いに成長してゆくのである。
小さな手を合わせ、雑踏にもまれながらも一心に祈っている姿は健気であり、愛おしさを感じるのだ。
腹ごしらえの後、江ノ電に乗って江の島に向かい、水族館に行く。
この人気のローカル鉄道もいまだに混雑が続いている。
無料の工作教室が開かれていて、水族館提供の材料を使って好きなものを作るのだが、姫は干支にちなんで鳥の置物に挑戦した。
接着したところを抑えたりのお手伝いだけで、一切口出しをしなかったが、工夫を凝らした鳥の姿が現れて「ほぉ~」と感心させられた。
周囲の子供たちの作品もそれぞれ個性的で、大人が手を加えたようなものはすぐにわかるが、子どもだけで作り上げたものの中にはユニークな発想のものが少なくない。
子供の想像力とか可能性というものを感じさせられる瞬間である。
姫には大人になっても、そうした部分を持ち続けてもらいたいものである。
急に冷え込み、太陽は明るい光を届けてくれているのに風の冷たさが身に染みる1日だった。
暖冬に慣れ切った身体にはてきめんで、風の子のはずの姫もぶるぶると身震いするほどである。
近頃とみにジジイとなったらしく、やたらと寒さを感じるようになった身には大いにこたえるのだ。
早く春に巡ってきてもらいたいものである。
三が日を過ぎても鶴岡八幡宮は混みあっている
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