平方録

鈍刀を磨く ⁉

いくら温度が高くなってきて昼間26、7度になるといっても、まだ真夏のように全体の空気が温まっているわけではないので、ちょっと日陰に入って風にでも吹かれると随分しのぎやすいのだ。

もともと大屋根と深い庇で強烈な太陽を跳ね返している寺の大きな建物の中は、真夏でも炎天下と比べると1、2度は低いものなのだが、昨日の円覚寺ではそれが如実に表れていた。
好天に恵まれた朝だったので、空気の通りの良い庭に面した席に座ったのが失敗だった。1時間目の途中辺りから風が通るたびに寒さを感じるようになり、集中して講義を聞くどころではなくなってしまったのだ。
結局2時間目から部屋の奥の席に避難する羽目になってしまった。辺りを見回すとカーディガンを羽織ったり、まくっていた袖を下げたりして寒さを防いでいる姿が目に付いた。
やはり6月の空気というのは夏期講座にはちょっと不向きなんである。

無門関第三十則のテーマは「即心是仏」。一部を掲げる。

馬祖、因みに大梅問う、如何なるか是れ仏。
祖云く、即心是仏。

馬祖という修行僧が師に仏とは何かと聞いた。師は「今の心こそ仏である」と答えた。
横田南嶺管長の解説は「何が仏なのか考えても分からないのであれば、その分からないと思った今の迷いの心こそが仏である」というものだった。
この馬祖という人は入門時に師から「お前は何者であるか」と問われ、8年間も考え続けたという人だそうである。
「自分が何者なのかを問うのが禅です。しかし考えても一つや二つの言葉で言い表せるものではない。そういうことを言っている」
「1人1人が仏そのものである素晴らしい心をもって生まれてきているのに、そのことが分からずに、仏はどこかと探しまわることの愚かさに気が付かなければいけません」
と、最後はいつも口にしている言葉で締めくくった。

そこなんである。仏の心そのものを持って生まれてきているんだよな、ボクも。だからボク自身が仏なんですよねぇ。
実感ないんだよなぁ~。

2時間目は仏教詩人・坂村真民の3女で末娘の西沢真美子さんが「坂村真民の詩魂」を、3時間目が作家・神渡良平さんの「宇宙の仕組みと詩人坂村真民」を講義。
意図してのことだろうと思うのだが、横田管長が勧める同一人物が取り上げられることになった。
管長の勧めもあってボクも2、3冊詩集を持っている。

「私がまだ幼かったころ、七夕の日の朝、父に促されて姉2人と庭のサトイモの葉にたまった朝露を集めに行ったことがあります。サトイモの葉の上で露はロコロコロコロ転がるので、なかなか集めることが難しくて、しかも露が朝日に照らされてキラキラ輝くのを初めて見た私は本当にびっくりしたものです。その集めた露を使って墨をすり、七夕飾りの短冊に願いごとや『天の川』など云う言葉を書いたのです」と言っていたのがすごく印象に残った。

最後にボクの好きな詩を掲げておしまいにする。

「鈍刀を磨く」

鈍刀をいくら磨いても 無駄なことだというが 何もそんなことばに 耳を貸す必要はない せっせと磨くのだ 
刀は光らないかも知れないが 磨く本人が変ってくる
つまり刀がすまぬすまぬと 言いながら 磨く本人を 光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ だからせっせと磨くのだ





円覚寺の黄梅院ではユキノシタがやや遅れ気味に満開を迎えている(上)。下はシモツケソウ


わが家の庭でパンジーやワスレナグサなどに埋もれていたフウロソウが伸びてきて最初の花を開いた
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