以下はその中の「鎌倉での文士・学者などと治安維持法」からの抜粋。
[小牧近江]1894~1978。反戦運動と労働者の立場に立ち続けたフランス文学者・評論家。大正期に反戦・平和のクラルテ運動を日本で実践。関東大震災時の朝鮮人虐殺・亀戸事件に抗議。
娘桐山清井の記述(「かまくらの女性史 33人が語る大正・昭和」2004 鎌倉市)
「家族4人で稲村ケ崎に移り住んだのは大正14年9月、わたくしが2歳の時でございます。/その当時の稲村ケ崎は、お店は魚屋と八百屋だけ。10軒ほどの別荘があり、……どこもしゃれた家で、独特の雰囲気がありました。/初めのうちは何軒か貸家を転々といたしました。いつも特高が来て、社会主義者だから貸すなというのです。そんなことを言われればあのころの善良な村の人は怖がりますよね。それで家を建てようということになりました。同じように苦労していた山川均さん、菊栄さんご夫妻も、父がお世話して近くに家を建てて越していらっしゃいました。親しくしていたんですが、両方の家の真ん中に、警察が掘っ立て小屋をつくり、いつも交代で見張っていました。」
「2.26事件のときには、同じ別荘族の隈元さんのおばあちゃんが、山川均さんと父を憲兵や警察の手からかくまってくださいました」
(中略)
小牧近江は、1971年3月4日毎日新聞夕刊「タマネキスト50年」で述べている。「しょっちゅう引っ越しをしたね。特高が家主をつつくものだから、夜中に帰ってみると、貸家札が下がっていたこともある。ぼくがいない間に家族は引っ越しているんです。治安維持法ができたのは大正14年3月だけど、それで特高関係の予算が急にふえた。使い道がないので、神奈川県警察部などは山川均さんと私の家との間に掘立小屋を建てて、毎日、横浜の県警から1人、鎌倉署から2人、昼も夜も見張りさしていた。景色と空気がいいので、代わりばんこに保養がてらによこしたんでしょうね。山川さんがあの体で逃げるはずないんだからね。」「だけど毎日顔を合わせていると、特高とも仲よくなっちゃってね……」「便利だったのは、借金取りを撃退してくれたことだね。昔は盆と暮れの2回払えばよかったので、そのときに特高が〝オイ、コラどこへ行く〟とどなると、借金取りはみんなふるえあがって逃げたものですよ」
[小林勇]1903~81。出版者・編集者・随筆家・画家・号冬青。墓は北鎌倉東慶寺。
1920 岩波書店入店
1932 岩波茂雄の次女小百合と結婚。名越の岩波の家に住む。
1940 岩波に家を建ててもらい扇ガ谷に転居。冬青庵。終の住処。
1945 横浜事件の容疑で検挙される。
「惜櫟荘主人――もう一つの岩波茂雄伝」からの抜粋。
「私はその日(1945年5月8日)は、夕方早く北海道大学の中谷宇吉郎(物理学者、雪と氷の研究家)を誘って帰った。その夜遅くまで酒を飲みながら絵を描いた。翌9日の朝早く、横浜地方裁判所検事局の山根検事の拘引状を持った特高5人と鎌倉署の特高1人とが来て、治安維持法違反の容疑者として検挙された。改造社、中央公論社はすでにつぶされており、岩波書店はいつもにらまれていたが、私はなぜ検挙されたか原因が分からないままに連れてゆかれたのだ。その朝、特高たちは私の家をかきまわし、つまらない書類や本を押収した。私の連れてゆかれたのは横浜東神奈川署であった」
「一服する間もなく私は、道場に連れてゆかれた。そして彼らは物もいわずにいきなり竹刀でなぐった。(中略)夕方、私はぼろきれのようになって留置所になげこまれた。房には先客が10人以上いた。(中略)殴られた体が痛く、苦しくて、起きてはいられなかった。すごい顔をした先輩が居った。その男が私を治安維持法違反の被疑者と知ると、忽ち周りの連中を叱り飛ばして、私を寝かして、体を静かにさすり出した。そして『いいわいいわ、そのうちアメリカさんがかたきを打ってくれるわ』といった。/翌日から毎日引き出されて、せめられた。/(中略)5月一杯は苦しい日々が続いた。」
「5月29日にはB29百機以上が横浜を襲った。東神奈川署は鉄筋コンクリート建で、がっしりいていた。空襲が始まって間もなく、周囲は火の海になってしまった。留置人を逃がしても、もう外に出られない状態だった。そのうち窓から火が入るといって騒ぎ出し、留置人たちもかり出されて火消しに従事した。しかし私と、同室の重要犯罪者は手を縛られて、廊下の隅におかれた。煙で苦しくて困った」(後略)
この本には、これ以外にも鎌倉在住だった大森義太郎、島木健作、長谷川如是閑、三枝博音、高見順、西田幾多郎、岩波茂雄、大佛次郎、林房雄らの受難がつづられている。
そこで紹介されていることすべてが、「治安維持法」という法律の常軌を逸した恐ろしさの一端を浮き彫りにしているのである。
「テロ等準備罪」と、いかにも世界各地で起きているテロ行為だけを取り締まるための法律のように聞こえる法律案が国会に提案されるようだが、ボクはこの法律の制定に絶対反対である。
これまで何度も国会に上程されるたびに、あの悪名高き「治安維持法」と変わるところが無いではないかと、その度に廃案に追い込まれてきた「共謀罪」という法案名を、「テロ防止」という目くらましで包み変えただけの中身だからである。
テロを防ぐのは、既存の法律でやればいいと思う。実際に今現在だって、既存の法律で対処できているではないか。
国民の権利を簡単に奪いかねない法律を、そもそも用意しておく必要なんかない。こういう類の法律は、はじめは静かにしていても、必ず鎌首をもたげ、善良な国民に牙をむいてくるのである。
「テロ防止」という目くらましには絶対に騙されてはいけないのだ。
小さなポットに入った小さな苗でもらったクリスマスローズがわが家の土を気に入ったらしく、こんなにもたくさんの花を咲かせている
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