本物になれるわけはないのだから正確に言うと「小原庄助をしてきた」というんだろうか。
朝寝朝酒朝湯が大好きで~♪ の庄助さんである。
でも朝は午前4時起床だし、温泉旅館で迎えた朝などはビールでも飲みたくなるが普段はやらない。
お湯の方も午前11時50分に男湯の暖簾をくぐったのだからさしずめ「昼湯」なのだが、平日の正午近くにひとっ風呂浴びていると言うこと自体は立派な庄助さんだと思うのである。
ボクの家から歩いて行ける歴史にその名を留める岬の根元に沸いた温泉である。
黒潮が近くを流れる土地柄らしい照葉樹林の続く尾根筋をたどれば45分ほどで着くが、この日は住宅地の中を歩いて行ったので1時間近くかかった。
でもこれは織り込み済みで、1時間てくてく歩いて運動じみたことをした後に湯につかろうと思っていたのだ。
まぁ怠惰じゃないんだぞという、ささやかなアリバイ作りみたいなもんである。
所詮は気が小っちゃいのだ。
早起きだし、朝酒とも縁がないし、それでいて「庄助をしてきた」なんておこがましいにもほどがある……か。
ま、その辺りはともかく「国難」中の日本ではあるが、昼間っから温泉に浸かろうという輩はいるもので、なかなか心強いのだが、先客は3人もいた。
その3人も正午を過ぎると上がってしまい、ボクは1人で広い浴槽を独り占めしたのである。
眼前には太平洋が広がり、夏に比べると随分高度を落とした太陽の光が波のほとんどない海面をキラキラ輝かせている。
右手には江ノ島が見えているのだが、春霞に覆われたように朝から空気全体がもやっていて、日が高くなってもそのまま島影はぼんやり霞んだままである。空気の澄んだ秋空はどこかに消えてしまった。
身体にまとわりついてくる空気も夏に戻ってしまったようだ。
浴槽のへりに足先を乗せたまま湯に体を投げ出していると、海面が太陽の光を反射させる小さな動き以外まったく動きのない静止画の世界である。
2週間後に迫った句会に提出する句をひねるが、秋に春霞が漂っちゃうんじゃなぁ~とボヤキつつ、頭の中は「国難を声高に言うやつこそ国難そのものである」と至極まっとうなことを考えているのだ。
「皆さん国難を乗り越えようではありませんか」「そうだそうだ! 乗り越えろ! 国難なんか踏みつぶしてしまえ! 」
湯は40度以下のようであり、ボクにはちょうど良い湯温である。
1時近くになって若い男が2人、きゃあきゃあ言いながら入ってきた。
子どもじゃやるまいし、たかが裸になって温泉に浸かるくらいではしゃぐんじゃないよ。
日常的な銭湯だったらはしゃいだり泣いたりする子供もいるだろうが、温泉は静かに入るものだよ。あれじゃぁまるで次の国難だぜ。
ガラスに仕切られた別の浴槽に入っていったからよかったものの、同じ浴槽ではしゃがれたら国難除去に乗り出さなければならなかったところだ。
君子危うきに何とやら。これを潮にサッサと上がってしまった。バカは相手にせず。
1時間も湯に浸かっていたお陰でボクの肌もすっかりすべすべの美肌になり、帰りに乗った江ノ電の車内では学校帰りの女子高生たちにきゃあきゃあ囲まれて「おじぃさま素敵」という声が聞こえたような聞こえなかったような……
温泉につかりながら眺めていた景色は海面を輝かせる陽の光にわずかな動きがあるだけの世界
江ノ島は春霞に包まれたようにぼんやりかすみ
稲村ケ崎公園の一番高いところの松の間から望む絶景は
富士山はおろか江の島も消えてしまって…
売られる花嫁の宣伝用の写真はこんな天候の下の方がいいのだろうか
夕食の後のデザートには山形の友人が送ってくれたイチジクをワイン煮にしたものにバニラアイスを添えて食べる。とても上品な味に仕上がったのだが、これが最後の一果なのが残念至極。物事には終わりというものがあるのだ。国難よ去れ!
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