特に「空蝉」は顕著で無風状態が続いたって自らの花の重みで頭を傾げ、同じ枝に2輪3輪と花をつければそれでなくてもゴメンナサイ状態になるのだが、雨にも打たれたのでもう完全降伏状態で痛々しいくらいだった。
今朝起きてみたら風も止んでいて「空蝉」の枝もだいぶ起き上がってきてはいるものの、いったん下がった頭を再び元の位置まで持ち上げるのは不可能で、乱れた姿は変わらない。
そんな姿を見て妻はせめて切り花にして部屋を飾ろうとせっせと枝を切り始めたのも致し方ないことである。
何はともあれ花の盛りの嵐だけは願い下げだが、こういうのも自然界ではつきもので人間だって例外ではなく、林芙美子は「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」と「放浪記」で嘆息したことになっている。
このボクだって社会の荒波の中で……。よそう、自分の話は。
実は林芙美子は「苦しきことのみ多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり」と文章をつなげているのだ。
嘆き悲しんでばかりいるのではなく、苦しさのどん底のようなところにいても希望を見い出そうとしているところが、彼女の長くはない生涯を振り返ってみればかえって悲しいし、前向きさを失ってはいけないのだと自分に言い聞かせているようで、かえって切ない。
しかも、いくら淀んだ空気を吹き飛ばし雲を光らせたって、青い空にぽっかり浮かんだ真っ白な雲という明るいイメージとはちょっとかけ離れているように見えるところも痛々しいのだ。
…ん? 何の話だ?
ボクの庭のバラがメイストームに痛めつけられたというだけの話のはずだったのだ。
回路が混線してしまっているようだ。
長いこと使ってきているから埃もたまっているのだろう。ヤレヤレじゃないか。
県立大船フラワーセンターの運営管理がH花壇に委ねられ、先ほどオープンしたというので見に行ってきた。
風が強くて空気中の塵が吹き飛ばされたのだろう、どこまでも青い空にモミジバフウの大木の若葉が揺れ、とても印象的だった。こういう透き通った明るい青空というものは年に何度もお目にかかれるものではない
緑の木陰にはハナビシソウの群落
ここの植物園は戦前からシャクヤクの栽培研究で名を馳せたところで、その残渣? が今に引き継がれている。この品種は「大蓮華」
「スカーレット・オハラ」だって
一列ごとに品種が違うようだけど…、色の変化は少ない
人気があって人が集まっていたのはバラ園だった
バラだけが植えられている
ひと株一株良く咲いてはいるが、色が雑多に重なり合ってボクの目にはとてもうるさい
バラの株だけがボンボンと並んで植えられているのは展示が中心の植物園だったからだが、横浜イングリッシュガーデンがバラを自然の一部として扱い、他の植物との取り合わせによってさらに一層バラの魅力を引き立てているのとは好対照である
出入り口のゲートをくぐった先の池は健在だったが、もう1か所の池は埋められていた
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heihoroku
高麗の犬
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