平方録

シーシュポスの神話

新江ノ島水族館前の片瀬西浜で年明けから砂浜を掘り起こしたり、鉄製のパイプをつなげたり、何やら工事が行われれている。
看板が建っているのに気付いて近くに寄ってみたら、やせ細った砂浜を太らせる「養浜」と呼ばれる工事のようである。
鉄パイプを沖合まで伸ばし、沖合の海底から水とともに汲みあげた砂を砂浜に運んでいる。

元はといえば、波が徐々に徐々に削り取り、持ち去った砂である。
昔から続いている自然のなせる技なのだが、昔は陸地の奥から川の流れが砂を運んでいたので、削り取られても供給があるから帳尻があっていたのだ。
それが流域にダムがいくつも造られるようになって、砂の供給が減るか止まるかしてしまったのが、全国各地の美しい浜で砂浜がやせ細って行っている理由である。

このままじゃあ海水浴もできなくなる、白砂青松も危うい、などと80年代から90年代にかけて大いに問題となって、これではいけないということになり、養浜という概念が生まれ、全国各地で様々な養浜のための試みが始まったと記憶している。
わが相模湾一帯でもそうした試みは出現し、茅ヶ崎には砂浜からT字型に突き出した突堤を作り、Tの字の縦の棒の両脇に砂を堆積させる試みを行っている。
しょっちゅう通りかかるのだが、目に見えて砂浜が太って行くわけではないが、それなりに砂の堆積は見られるから一応の目的は達しつつあるのだろう。
こういう取り組みは40年50年のタームで効果を計るべきなのだろう。

しかし、所詮は大元の供給が断たれた後の弥縫策に過ぎないのではないかと思うが、ダムを壊せない以上、仕方ないのかもしれない。
鎌倉の七里ガ浜も砂浜はやせ細ってっしまった。
ちょっと前までは砂浜に突き出した駐車場の下の砂浜は露出していて歩けたが、今では波にぬれてしまうのではないか?
小動岬に寄ったところでは砂浜が消えかけ、道路の擁壁が波に洗われる寸前である。

片瀬西浜はかつて“東洋のマイアミビーチ”ともてはやされ、真夏には押し掛ける海水浴客で砂浜が見えなくなるくらいだったのである。
人出はともかく、砂浜だけは取り戻しておこうという魂胆なのだろうか。
砂浜が消えてなくなってしまうのは忍びないから、それはそれで良しとするが、この作業を見ていてつくづく思ったものだ。
「シーシュポスの神話」にそっくりではないか、と。

ギリシャ神話に出てくる話で「シジホスの岩」とも呼ばれている。
「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という斎藤緑雨の川柳を思い出すが、シーシュポスもシジホスも同じ1人の青年の名前である。
神を2人も裏切ったため、怒りに触れて大きな岩を山の頂まで押し上げる苦役を科せられるのだが、頂直前まで押し上げるたびに岩はその重みで転がり落ちてしまう。
そのたびに、また一からやり直さなくてはならない。これを永遠に繰り返す、というお話。
カミュの作品で読んで印象に残っているのだ。

どう見たって骨折り損のくたびれ儲け、徒労のイメージである。
根本を見つめ直して、そこに手をつけなければ本物の解決にはならないように思えるのだが…。





片瀬西浜で繰り広げれらている養浜作業。海底からくみ上げてきた砂が干され、ならされていた(上)。下は鉄パイプなどが転がっていた2月の様子。
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