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平方録

夏は来ぬ ♪

昨日のブログでウツギの白い花が咲いてホトトギスがシノビネをもらす話を書いたのに「立夏」だったってことをすっかり失念していた。
夏大好き人間を自認しているボクにとって立夏は盆と正月がいっぺんにやって来るのに匹敵するくらい重要で嬉しい日なのに、何ともぬかったことをしたものだ。

それでも無意識ではあっても、卯の花に気持ちを寄せホトトギスを話題にして書いたということは深層意識の中に、つまり…大袈裟に言えば「魂の叫び」として、本能として立夏を意識したという点において、ふむ、野生の叫びがついにほとばしり出たかと、いささかの満足感を禁じ得ない……なぁ~んちゃって。

とにもかくにも小学校でこの「夏は来ぬ」を教わって以来、♪ 夏が来れば思い出す はるかな尾瀬ぇ~ ♪ の「夏の思い出」という曲とともに、魂を震わされるような感覚に包まれる曲なのだ。
特にホトトギスが「ハヤモキナキテ シノビネモラス 」なんて歌詞は子供心に何のことかさっぱり分からなかったが、妙に心地よかったのを覚えている。
純粋無垢だった少年の心に響いたものが、馬齢を重ねた今でも同じように響いてくるというところが、懐かしさを誘うし、この曲の持つ不思議な魅力なんだろうと思う。

「夏は来ぬ」の作詞は佐々木信綱でボクの卒業した高等学校の校歌もノブツナさんの作詞だった。
関係ないけど…
それで思い出した。
わが母校の校歌の冒頭は「皇国の精華と」(ミクニ ノ セイカ ト)で始まるのだが、さすがに戦後民主主義の時代になって「皇国」はないだろうと、「御国」の漢字を当てて使っていた。
従って、「御国」がいい悪い、好きか嫌いかは別として、格調高かった校歌全体がしっくりこなかったのも事実で、簡単に言えば歌っていて違和感を覚えたものだった。
一部を変えるくらいなら全体をがらりと変えてしまわなければダメで、弥縫策では無理というものだ。
そして80年代に入ると教員の間からまったく別の校歌をという声が上がり、当時在籍していた功名心の強い国語教師が作詞したものが歌詞として採用され、曲も一新され現在に至っているようだが、一度くらい聞いたことがあるかもしれないが、トンと覚えていない。
以来、ボクの通った高等学校はボクの心から消えてしまった。

いや、立夏の話だった。
とんだ脱線をしえしまった。
口直しに新古今和歌集から歌を幾つか。

郭公(ほととぎす)まだうちとけぬしのびねは 来ぬ人を待つわれのみぞ聞く 白河院

聞かでただ寝なましものを時鳥 なかなかなりや夜半の一こゑ 相模

いかにせむ来ぬ夜あまたの時鳥 待たじと思へば村雨の空 藤原家隆

鎌倉時代初頭の新古今の「夏歌」全百十首中、ホトトギスを詠んだものは三割弱の32首にも上るそうな。ホトトギスの忍び音が忍んでやって来る「恋」を連想させるところから、当時の歌人たちが好んで取り上げたのだという。 

歌こそ作らないが、夏が来るとボクの胸が騒ぐのも、彼らと同様、ボクの血にもあの時代の歌人たちの血に似た血が流れているからだろうと、ぼんやり感じるのだ。
ところで、ホトトギスはまだ忍び音の恋のささやきの最中らしい。
間もなく恋が実った後で、大はしゃぎしてあのけたたましい鳴き声で夜となく昼となく大騒ぎを始めることだろう。

目には青葉山時鳥初鰹 山口素堂

そう! まだなのはホトトギスの鳴き声だけ。一昨日、カツオの身を4分の1に短冊にした身をフライパンで表面だけ炙り、生野菜を敷いた上に乗せてニンニクやバター、醤油を使ったタレをかけまわしたカルパッチョ風にして食べた。
初物で、これがボクのお気に入りの食べ方。うん! 実に美味かった ♪

夏は来ぬ! ですナ。

見出しの写真とともに、5月7日朝の「空蝉」

散歩道の途中の鎌倉野菜の畑で麦の穂を見た。アノ特徴的な髭が伸びる寸前のようだ。初夏だね ♪

わが家のレモンにも花が咲いた

「ノリコ」も咲き始めた
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