平方録

今日から「白露」なんだって

今朝の3時ころのことだが、尿意を催してベッドから起き上がろうとすると部屋の中がぼんやりと明るい。

ん? といぶかると西側の窓から満月が光を送ってきていることに気づいた。
ボクは頭を西に向けて寝ているので、目を開けると頭上にある窓から顔をのぞかせる月が良く見えるのだ。
おそらくトイレに起きたのも尿意だけがそうさせたのではなくて、満月の光が顔に当たって目を覚まさせたのだと思う。

季節は動いて今日からは二十四節気の「白露」だそうである。
大気が冷えてきて露を結ぶころのことで、ようやく残暑が引いていき本格的に秋が訪れるころだという。
残暑などかけらもないような夏だったけれど暦は暦である。季節はこうして巡るものなのだ。
細かく七十二侯を覗いてみれば白露の始まりは「草露白し」といって草に降りた露が白く光って見えるころを言い、朝夕の涼しさがくっきりと際立ってくるのだという。

円覚寺でいただいた卓上カレンダーには毎月、横田南嶺管長の揮毫が添えられているのだが9月は正岡子規の俳句である。

 鈴虫よ鳴け籠の月籠の露

さすがは子規センセイ、冴える秋の月と二十四節気を巧みに取り込んでなかなか見事なものである。

部屋の中は26度もあって白露だからと言って特段涼しいわけでもないが、西に傾いた満月に対峙するように東の空には明けの明星が光っているから、今日は青天が広がるのか?
耳をすませば虫の音も聞こえてくるが鈴虫の鳴き声ではないようだ。
ボクはやっぱり暑い夏の方が良いなぁ。

昨日は小雨に煙る江ノ島で句会があった。
予報では海を渡っていく弁天橋を通るころは強い雨に見舞われそうだったが悪運が強いのか、そこは傘が必要なく、油を流したような動きのない海面を見ながら橋を渡ることが出来たのは幸いだった。
午前中ということも手伝って、普段観光客でごった返す参道にも隙間ができるほどの余裕があったのは、日ごろの混雑を知る身には珍しい光景である。

島の反対側の児子ヶ淵に渡る渡船が運休していたから階段を上っていくしかない。
江ノ島に詣でるということは階段を上り下りするということなのだが、そんなのヤダと駄々をこねるメンバーがいて8人のメンバーのうち自分の足で階段を上って行ったのは80代のおばあちゃんとボクと同い年の画伯と3人のみである。
他の5人はエスカーに乗って嬉しそうに上っていった。嘆かわしいことである。足が退化したって知らねぇぞ。
こういうジジババがニッポンを滅ぼすかもしれない。早く姨捨山に捨ててしまいましょうよ。

会処として予約しておいた眺望絶佳の茶店は客が少ないものだから随分と愛想が良く、3時間半もワイワイやっても迷惑そうな顔一つせず、おかげですっかり千鳥足になってしまった。
帰り道の急な階段の上り下りは互いに手に手を取るようにしてソロリソロリとカタツムリのようにゆっくり進んだのだ。
傍で見ていたら変な集団に見えたことだろうが、おかげで無事に島を抜け出せたのである。ヤレヤレなのだ。

今回の最高点は5点でこれが今回の「天」に輝いた。

 こんこんと眠りて秋ははじまりぬ  茗荷

以下はボク(花葯)の提出句。

 まだページ残っているのに夏発ちぬ

 左巻き「の」の字も逆の野分かな

 寝そべれば確かにジュッ! と夏の砂

 風来暴野分の道は西ひがし

 夏去りて秘仏の肌の白さかな

江ノ島にはしょっちゅう出かけて行っているのだが、今回は久しぶりに裸弁財天として名高い琵琶を抱えた妙音弁財天を拝んできた。
もう悩殺されてノックアウトされそう。










雨の混じるあいにくの天候だったが、さすがは腐ってもタイ。参道は結構にぎわっているのだ






茶店から眼下の海を見下ろす。ヒトは岩場の端っこが好きなのだ。沖には釣り船が浮かんでいる
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