平方録

何を書いてんだか…

何か、体中の力がすっかり消えてしまうように感じられることがある。

例えば肩の力を抜くとか、張り詰めた気持ちを楽にするために心の緊張を解いてみるとか、そういう積極的な意味においての「消え方」ではなくて、漠然とでも何かに寄せていた期待とか希望のようなものが、ある時ある瞬間を経て、すっかり消えてなくなるというような感じを指す。
世間ではこういう場合に「虚脱感」という言葉を使うが、そういうケースも確かに多いんだろう。それゆえに定着している単語なんだと思うが、今感じているのはそれとはちょっと違う気がする。
「てやんで~! 」という、いささか品位に欠ける単語を使いたいような、強いて言えば、失望感とか喪失感というような単語に通じるような力の抜け具合なのだ。

だが、こういう言い方をしてしまうと何かとても仰々しくて、重苦しくて深刻な雰囲気が漂いかねないが、そういうことではなくて、もう少し軽くて柳の枝が肩に触れても何の抵抗もないような、そういう類のものである。
中学生が思わず「ぐれてやる! 」と口走るようなもので、所詮は甘えられる親への精一杯な抵抗を装って拗ねて見せるようなものなのだ。
そもそもたいしたことではない。
別に、特段改まって文字に書き起こすような事でもないのに、どういうことなのか。
それを整理するために今、キーボードを叩いている。

叩いているうちに方向性が見えてくるだろう、という期待を込めてのことである。
その結果が引き続いて五里霧中を漂うことになるかもしれないとしても、それはそれで受け入れる。
そこまで肩に力を入れての作業ではないから…

世の中には明確な結論が用意されているものと、最初から結論などない事柄が同居しているものなのだ。
結論のない事柄に向かっていくらあがいてもその答えが見つかるわけもない。
そのことを確かめるのが、ああでもない、こうでもない、という“迷走作業”なのだ。
迷走というのは作業なんですか、という質問には「行為」でもいいよ、と答えたい。

迷走というのは、別の言葉で置き換えると「時間」と言えるのではないか。
あるいは「疲労」か。
迷走に迷走を重ねて時間を浪費しているうちに、何のために迷路をさまよっているんだろうと、己の行為の馬鹿馬鹿しさ、無駄さ加減に気が付く。
しかも、くたくたにくたびれ果てる…

結局何の意味もないことに時間を費やすだけのことなのだ。
元々なかったものを存在するものの如くに、目を吊り上げて「さあどうしよう」とあがいたって、そもそも何も実体のないものに立ち向かっていただけなのだから、所詮は一人芝居。
幽霊の正体見たり枯れ尾花——の類なのだ。

ヒトはよくこの陥穽に落ち込んでもがく。
自己愛、自己保全というような動機が働くのだ。すべて自分自身が可愛いため。

齢を重ねてなお、こんなことを書いている……




何日かぶりに陽が射してきたがすっきりした秋晴れには程遠く


それでも久しぶりの日差しに砂浜にはカップルが


裸の彼は1人ポッチで秋の海を眺める


こちらでは仲良く肩を並べて釣り糸を垂れ


波のない海で波を待つサーファーっていったい?


湘南海岸自転車道はまだこんなところも


堆砂の除去にはまだしばらく時間がかかりそう
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