妻がいささか自嘲気味にそう言いつつワインの空きビンを入れた袋をごみの集積場所に出そうとしている。
ごみの分別収集を徹底しているわが町では木曜日が空きビン・空き缶の回収日である。
「今日は何本なの? 」と聞くと「1週間の日にちの数より多いわよ」と袋をゆすってビンをガチャガチャ鳴らす。
妻が自嘲気味になる理由はごみの収集場所であるクリーンステーションに出される空きビンのうちワインを含めた酒ビンはせいぜい2、3本だというのだ。
そんなところに両手の指の数ほどの酒ビンを1度に出すのはとても恥ずかしいのだという。
「よそ様はウチみたいにがぶがぶとお酒を飲んだりしないのよ」というのが妻の主張である。
「わが家だって別にがぶがぶは飲んでないぞ。食事を美味しくしようとして料理、ワイン、料理、ワインと交互に、あるいは料理、料理、ワイン、料理、料理、料理、ワイン…のようにたしなみつつ飲んでいるじゃないか」
「そんなこと言っても現実にこうして…」と空きビンをかざされるとそれ以上の反論も無意味である。
酒ビン…ボクの家の場合は主にワインのビンだが、これを1度に1、2本を超えて出すということが恥ずかしいことなのか。世間様に恥なければいけないことなのかどうか。
クリーンステーションに出されるボクの家のワインの空き瓶のラベルを見てほしい。
南米チリ産の1本300円台か400円台の超激安赤ワインである。
これが1本5000円も6000円もするような欧州のブランドワインだったら「あのうちは何か悪いことをしているに違いない」と白い目で見られることだろう。
年金暮らしになったわが家でそんな芸当は望んだって望むべくもないのだ。
バリバリの現役時代だって大蔵大臣の妻によって1000円台のワインしか与えられなかった身である。
お前の稼ぎが悪かったのだから身の丈に合ったものを飲むのは当然である、という影の声の言い分は納得できないわけではない。
それがリタイアという現実に直面して「毎日1000円台のワインなんて飲めませんからね。わが家の経済は破綻してしまいます」と妻から現実を突きつけられた時は、正直言ってショックだった。
ということでボクのワインにおける転落の人生が始まった……なぁ~んて考えるのはやめた。決別した。
こんな安い料金でもポリフェノールをたっぷり含んだカベルネソービニョンの口当たりの良いワインを作り続けている南米チリのブドウ栽培農家とワイン醸造に従事する人々にボクは心からの連帯と感謝をする日々に変えたのである。
一時期、確かにワインの空きビン排出量が減ったことがある。それは明確に自覚できた。
大したことはなかったのだが、ちょっと体調を崩しかけた時期があって、その時は自然に飲む量が減っていたのだ。
その霧も晴れたのだ。視界は良好なのである。
ワインの空きビンの本数がいささかなりとも増えることは、ボクの1日の終わりがそれだけ豊かになるという大いに喜ぶべきことであって、決して恥ずべきことでも何でもないのだよ ♪
ふと頭上に横たわる枝を見上げると直径1cmにも満たない小さな4~5弁の赤い花が咲いている=円覚寺黄梅院
枝にびっしりついて咲いている
幹が苔むした古木で背丈は2mを少し上回る程度。名札を探したが見つからず何という植物が不明だが初めて見る花である
円覚寺を屏風のように取り囲む山々の緑が5月の強烈なコントラストに浮かび上がり=黄梅院
居士林脇のモミジはしたたる緑とプロペラに満ち溢れる
青と緑と白…3色だけの光景。この日早朝は気温が低く、坐禅をしていると吹き込んでくる風に震えあがるほどだった
これでもかとわが家のバラ
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heihoroku
高麗の犬
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