さぞかし懐かしくも感激に包まれるのだろうと思いきや、特段、美味しいとも感じず、ふ~ん、という具合で特別な感動に包まれたわけでもない。
う~、五臓六腑にしみわたるなぁ! とか、一口舌に乗せた瞬間に身震いするようなゾクゾク感に包まれるとか、様々に想像していたのだが、そういう類の感慨は何もなし。
はて、これは一体どうしたことであるか?
ひょっとして、1週間も口にしなかったおかげで酒の呪縛から解き放たれ、いや、見放されてしまったのかと、真剣に考えたほどである。
見放されてなるものか、しがみついてでもついて行かねば、そういう一心がむくむくと頭をもたげたのは、我ながらいじましいというか、これまでの酒の記憶が体中にしみこんでいるからに他ならない。
モノの本によれば、日本の酒の神様は奈良の大神神社(三輪山の麓の三輪神社)に祀られているオオヤマツミという名前らしい。
日本書紀では「大山祗神」、古事記では「大山津見神」と表記されているそうだ。
これが西洋ではバッカスと呼ばれるディオニュソスという神だそうな。ワインの神様で「狂乱の神様」でもあるらしい。
近くにあれば三拝九拝するところだが、如何せん遠すぎる。
かくなる上は奥の手というか、とにかく八百万の神様に「お酒がおいしく飲めますように」とお願いする方が手っ取り早いのだ。
至誠は天に通づ、というではないか。真面目にお願いしなくては…
外出先で昼飯にたまたま回転ずし屋に入ったので、ちょこっとニ・ホ・ン・シ・ュと脳裏を横切ったが、我慢ついでに我慢した。
一週間ぶりのアルコールは相撲中継のおしまいの方に缶ビールを冷蔵庫から取り出してきて、プシュッとやり、グイッと飲んだのだが、正直いうと「不味かった」。
かつてはビール会社に知り合いがいたが、今はもういないので義理もない。遠慮なくいわせてもらおう。
「期待した分余計に不味かった」
しかし、元々あまり好きだはなかったとはいえ、これほどまでとは驚きである。
ついで、夕食は友人が送ってくれたタマネギをベースにしたポトフ風のスープがメインだったので赤ワインにした。
ふだんは500円以下の安ワインなのだが、この晩ばかりは取っておいたいただきもののイタリアワインの栓をヨダレを垂らしながら開けたんである。
垂れたヨダレがワイングラスに入ってしまった、というわけでは決してないのだが、こちらもそれほどの感激はなかったのである。
飲んだ量はボトルの5分の3くらいで、5分の2の妻と分け合ったのだが、さして酔いが回るわけでもなく、感激も特別なものは何も湧いてこなかったのである。
いよいよ酒の精やら神様たちに見放されてしまったか?
どうか、それだけは勘弁してもらいたいものである。
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