ベランダにデッキチェアを出して77%にまで細った月の光を浴びる。
細ったとはいえ、夜明け前の暗がりに寝そべる身体を浮き上がらせるには十分な明るさがあって、むき出しの太ももが固そうに光っている。
南南東の中空には三ツ星が特徴的なオリオン座が輝いている。
冬の星座だと思っていたから、夏の空に光っていることにちょっと意表を突かれる思いがした。
風のそよとも吹かない朝だが、空気感というものがこれまでの盛夏とは明らかに違っていて、身体にまとわりつくようだった熱風に近い空気はすっかり消えている。
代わりに身体に触れてくる空気は大袈裟に表現すれば「ひんやり」とさえ感じられる。
実際にはひんやりなんかしていないのだが、盛夏の空気が日の出前の一時とは言え薄らいだという現実が感度をより鋭敏にさせているのかもしれない。
こうやって季節は移ろいで行くのだろう。
その境目の際辺りにいることを現実として感じてしまった一瞬だったと言えるのかもしれない。
大好きな夏に交代時期が迫って来つつあるのだということが無性に寂しい。
今朝はヒグラシの声を聞かなかった。
ミンミンゼミは相変わらず元気に鳴いているというのに…
昨日はひと月半ぶりの句会があって正午過ぎの炎天下の鎌倉を吟行した。
海岸に近い所ならばそれなりに風が吹き抜けるだろうから幾分かはしのぎやすいはずだが、二階堂の谷戸の奥、永福寺跡と瑞泉寺が舞台だったので風がなかなか通らず吹き出す汗に閉口した。
しかも同人中、元気印の傘寿の女性が目の手術、そしてボクと同い年の男性はツレアイの介助だとかで欠席。
さらに心臓で救急搬送された同人も合評には参加するが吟行はチト無理と、さらにもう一人の女性も暑さで夏バテ気味なので参加は合評からにさせてほしい、と大事をとるありさま。
かくして、われわれメンバーにも確実に枯れ葉の季節が迫って来ていることを痛感させられたのだった。
古代インド人は人生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」の4つに分けて考えていたそうだが、まさに我われ同人は林住期(50~75歳)と遊行期(76~100歳)にいるのだからムベなるかな。
それが現実であることに間違いはないが、みんなでできるだけ遠くまで行きたいものだと、日陰を選びながら瑞泉寺から大塔宮のバス停までの坂道を10数分かけてトボトボ下りながら思ったものである。
それにしても谷戸の奥は風が通らないね。
今回のボクの提出句。兼題は「残暑」。
踏切の列車待つ間の残暑かな
ニガウリのだらりと垂れる残暑かな
稲の波入道雲より立ちにけり
長梅雨や木の下闇に苔階段
吟行句
日盛りに頼朝の寺影もなし
頼朝は三つの社寺を残した。鶴岡八幡宮、勝長寿院、永福寺。八幡宮以外は焼失した後再建されなかった
ここがその永福寺跡。土台だけが復元されている
頼朝は奥州合戦の後、義経や藤原泰衡をはじめとする数万の兵士の怨霊を鎮めるためにこの寺の建立を発願した
宇治の平等院鳳凰堂や中尊寺の二階大堂を模して造らせたと言われ、建物が北を向いて建てられたのも奥州の地を意識してのことと思われる
風のまったく通らない苔むした階段を上がって行く
狭くなる階段
大汗が吹き出したところで瑞泉寺山門に到着
花の寺と呼ばれているが、今本堂の前で咲いているのは白いフヨウと青紫色のキキョウ
見出し写真とも本堂裏手の夢窓疎石の手になるとされる石庭