1973年5月27日(仏滅)。
ボクら夫婦は横浜・山手のカトリック教会で結婚式を挙げ、山を下りた山下公園前のホテルニューグランドで披露宴を開いた。
この日、地方競馬で活躍していたハイセイコーと名づけられた競争馬が、血統正しきサラブレッドばかりに混じってダービーに出場、そのひのき舞台でぶっちぎりの勝利を収めた日でもあった。
あれから50年。
ボクが大病をしたり、家が火事で焼けてしまうなど切りがないくらい様々なことがあり、山の神には随分と辛く大変な思いをさせてきた。
そして娘2人が金婚式を迎えたボクたちに、思いがけなくも披露宴を開いた思い出のあのホテルの食事券付き宿泊券をプレゼントしてくれたのだった。
リタイア以降、背広などとは縁を切り、Tシャツに短パンかGパンで過ごして来たボクはきちんと上着を羽織り、山の神も着飾った上に手に指輪まではめていそいそと出かけてきたのであります♪
梅雨空から小雨がぱらつく天候に眼下に広がる横浜港は霞んではいたが、ぼんやりとうすい靄に包まれたような景色そのものがボクらの来し方を包み込んでいるかのようでもあり、望んだとしてもなかなかお目にかかれないような、見事な演出でもありました。
フランス料理の晩餐に当たって一杯目のグラスに口をつける前に、50年もの長きにわたって付き合ってくれた山の神に感謝の意を伝えつつ「これからもよろしく」とかなんとか口走らせたようなのは、そんな雰囲気のせいだと思う。
ここはパリの何街区か…
いやっ、右端に「山下公園東口」と書かれた標識が写っている
1927年(昭和2年)開業のヨコハマの老舗ホテル
東京に進駐軍総司令部が開かれるまでの3日間、厚木飛行場に降り立った連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーはこのホテルで執務した
午後3時過ぎにチェックイン
結婚式当日に泊った部屋を望んだが、同じ部屋は既に改装でなくなっているそうで、似たような部屋になった
部屋のテーブルの上にはこんなメッセージが
高層ホテルの林立する横浜で、5階建てホテルの4階の部屋からの眺めは限られる
それでもベイブリッジは指呼の間(左手前に見えているのは山下ふ頭のガンダムで、30分おきに基地からガンダムが出て来る)
銀杏並木越しには大桟橋も(赤い煙突の船は「にっぽん丸」 この後、出港して行った)
散歩に出て山下公園からホテルを振り返る(右側の高層棟がホテルの新館のタワー棟)
50年前はホテル名のネオンが掲げられた高さ以上の建物は県庁くらいだったと思う
タワー棟5階のレストラン「ノルマンディー」からは氷川丸(国の重要文化財)が良く見える
稚アユを使った前菜
トウモロコシの冷製スープ
小雨に霞む窓の外は次第に幻想の色合いを濃くしていく
ヒラメを使った魚料理
2種類の肉を使った料理
デザート
デザートに金婚式祝いのケーキが出される
2時間半のゆったりした食事を終え、中庭にでて外の空気を吸う
本館のバー・シーガーディアンⅡへ ここは現役時代も時々立ち寄った
記念すべき一夜が明け、前日とは打って変わって眩しい朝の光が差し込むパリの〇〇街区…
氷川丸も…
姉妹都市のサンディエゴ市から贈られた「水の守護神」像越しの高層ビルも…
大桟橋越しのビル群も…
仕事場がすぐ近くだったので日常の風景だったのだが、金婚式の翌朝というシチュエーションで見る光景はまた別物に見えた
山下公園のバラ越しに見るホテルの高さが愛おしい
本館正面玄関の真上、4階の左から3つ目の窓が開いた部屋に泊った
入り口を入るとすぐ階段が…
2階ロビー(左奥に濃い茶色の扉がある)
このフェニックスルームでが披露宴会場だった
ロビー風景
ロビー反対方向
10時過ぎにチェックアウト
氷川丸を真横から見たいと思った
横浜~シアトル航路に就役していて、この船で太平洋を渡って見たかった
山下公園横のフランス山を登って大佛次郎館へ
玄関わきのネコの像 生涯で500匹もの猫と暮らしたというネコ好き
横浜生まれで鎌倉で暮らした大佛次郎には魅かれるところが多い
大佛次郎館をじっくり見学した後、これまた山の神が行ってみたいという馬車道の歴史博物館へ
(旧正金銀行本店だったこの建物も国の重要文化財に指定されている)
…と言うことで、馬齢を重ねて迎えた金婚式ではあるけれど、娘たちの計らいでとても心にしみるひと時を過ごすことができた♪
この親からよくぞ孝行娘が育ったものだと、やはり世間で言うところの「反面教師」と言うのは真実だったかと、しみじみ感じさせられることになったのでございます