起きたての4時ちょっと過ぎには見えなかったから、その後のわずかな時間で上ってきたようだ。
間もなくすると昇ってくる太陽の光に飲み込まれてしまう如何にもか細い光なのだが、どこか妖艶な感じを受けるのは今の季節がちょうど春めく時と重なるためか。
おわあこんばんは おわあこんばんわ ここの家の主人は病気です――突如呪文のような言葉の羅列が頭をよぎる。
三日月を見るたびに、ナゼかよぎるのだ。
ところで「三日月ってナニ? 」と5歳の女の子のような疑問を持ってちょっと調べたら「三日月の黄経は太陽よりわずかしか先行していないため、日没のすぐ後(約2時間後)に光っている側を下(北半球では右下)にして沈む」と説明されている。
さらに「陰暦26日深夜(27日未明)の月を二十六夜(にじゅうろくや)と言い、三日月に形は似ているが、光っている部分が東西逆側である。見える時間も違い、日の出前に光っている側を下(北半球では左下)にして昇る」とある。(ウィキペディアから)
ということになると、ボクがたった今見ている三月二日早朝の月は三日月に在らずして二十六夜の月ということになるのだろうか。
厳密にいうと右下を光らせて沈んでいくのが三日月だとするならば、今朝の月は〝三日月の形をした月〟ということになるのかしらん。
知らなかった。同じだと思っていた。ぼぉ~っと生きてきたってことか。
まぁどっちにしたって細い〝糸のような月〟に変わりはない。
この〝糸のような〟という、月に対する形容詞を最初に認識したのは萩原朔太郎の詩を読んだ高校一年生の時だったように思う。
「猫」 萩原朔太郎
まっくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
「おわあ、こんばんは」
「おわあ、こんばんは」
「おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ」
「おわああ、ここの家の主人は病気です」
教科書に出てきたこの朔太郎の詩を朗読し終えた時にチャイムが鳴り、ボクたちのクラスの二学期の現代国語の授業は一端終了した。
そして年が明けた後の三が日のいつだったか、深夜のラジオニュースでその教師が穂高連峰に登ったまま消息を絶ったことを知った。
あの教師は正田美智子さんが皇太子に嫁いだことを怒っていた。
怒っていた理由は何だったのかは知らないが、時々黒板に向かってぶつぶつ言ってもいた。
そういう変わった奴だったというわけでは決してなく、この教師の授業は好きだった。
世の中を拗ねているようにも感じられたし、何より反権力的なところも共感できたからだろう。
ボクが今なお記憶にとどめて大切にしている現代文学作品のいくつかが、この教師の授業中に触れた作品だったということも興味深いことだと思っている。
奴の穂高行が単独行だったことは三学期が始まった直後に知った。
そして体育の教師たちの中に無謀さを指摘している奴がいることを知って腹を立てたりもした。
もう半世紀以上も前の出来事である。
庭のムスカリの元気が良い
ムスカリとクリスマスローズ
ワスレナグサのつぼみが膨らんできた ♪
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