階段を登り切って茅葺の山門をくぐると、かつて拝観料を徴収していた小さな小屋が建っている。
今は拝観料を取らず、山門の階段下に「本堂へ回り拝観料相当額を収めてください」という小さな立て札があるだけだが、その無用になった小屋のすぐ脇に下の写真のような、もう一つの立て札が掲げられているのに気付いた。
「見苦しく映ることもあるかと存じますが、上辺だけ美しい庭園づくりではなく、本当に豊かでたくましい自然環境を作るための処置でありますので、寛大なお心で今後の変化を見守っていただければ幸いです」と「一部であえて雑草や落ち葉などを放置している」ことの説明をしている。
何と丁寧で親切な住職であることか…
「駆け込み寺」として封建時代の女性を救い続け、時が下っては「禅」を欧米に広めた釈宗演や鈴木大拙ゆかりの寺でもある北鎌倉・東慶寺はボクの好きな寺の一つである。
ここのメーンとなる庭がまた類を見ないもので、見た目には全く人の手が入っていないかのような、自然の野原を思わせる広々とした場所で、そこに季節季節の草花がさりげなく咲き乱れるように工夫されている。
そんなお気に入りの寺が突如掲げた立て札にいささか驚かされた。
多分、一人や二人じゃないんだろう。
何人もの参拝客(観光客)から「どうして手入れもしないで荒れ放題にしておくのか?」などという、的外れな感想やらクレームが寄せられているんだろう。
確かにこうした「ありのまま」「自然の成すがまま」を具現しているような、言い方を変えれば「禅的」な庭というものはそうざらにあるわけではない。
見慣れない光景にびっくりしたり違和感を感じたりする気持ちもわからないではないが、世の中は広い。
自分の知らない世界が広がっているからこそ生きているのが楽しいんであって、新しい世界に出会うことも無く、世の中をすべて知り尽くしてしまっていたとしたら、何と退屈な毎日になることか。
第一、自分の狭い知識の枠から外れたものを異端視するなんて傲慢に過ぎる。
それにしても、なんとまあ無粋な立て札であることか。
日本人はこんなものを掲げさせてしまうくらい劣化が著しいということか…
落ち葉が重なり合ったメーンの庭 昨秋は大量に落下したギンナンが匂って匂って…でもそれが自然というものだし…
ウメ以外に春になって一番乗りに咲く花は何だったか、思い出せない
確かめるために時々覗いて見る楽しみが増えたてことか♪
境内はウメの名所だが、まだ時期が早いようで、大抵のウメはこんな感じ
チラホラほころび始めた株もある
小さな花だけども寒さにてんで負けていない
マスクを余儀なくされているから、かすかな香りが届くわけもなく、「馥郁たる」なんて形容詞は当分お蔵入りだろうな
間もなく出番♪