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平方録

軒のあやめも薫るなり

雨が降り止まないのでもう何日も庭に出られず、庭中が草ぼうぼうになってきた。

今は太陽の旺盛な光を浴びていないので伸び方も大人しいが、いったん梅雨が明けてしまったらブレーキを外した自動車がアクセル全開でぶっ飛んでいくように、光合成をフル回転させて庭をジャングル状に変えてしまうことだろう。
どれくらいの労力をもってすれば、それらを一掃することができるのか。
それを思うと、とても恐ろしい。

7月ももう半分を過ぎたというのに、セミの鳴き声は相変わらず聞こえてこない。雨が降り続いていれば時たまホトトギスの鳴き声が聞こえてくるだけだ。
あの独特の甲高い声で「トーキョートッキョキョカキョク」(東京特許許可局)と鳴くホトトギスである。
そう言えば古の歌人たちは五月雨を詠うにあたって対のようにホトトギスを登場させて鳴かせている。
五月雨とは、言わずもがなの梅雨期に降る雨のこと。昔の人は「時鳥」「郭公」などと漢字で書くホトトギスの鳴き声を梅雨の雨の音と一緒に聞いて歌に詠んでいたのだ。

五月雨に物思ひをれば郭公 夜ぶかくなきていづちゆくらむ 紀友則

五月雨の空もとどろに時鳥何を憂しとか夜ただ鳴くらむ 紀貫之

さみだれの月はつれなきみ山より ひとりも出づる郭公かな 藤原定家

郭公雲居のよそに過ぎぬなり 晴れぬ思ひのさみだれのころ 後鳥羽院

キラ星の如き歌人たちはかくのごとき歌をものしているのですな。
平安のころもやっぱり梅雨はうっとおしかったらしい。
しかし歌そのものにジメジメ感を感じないのは当時の支配階層に連なる人々の作品だからか。
つぎは今様とよばれる作品からも一つ。

花橘も匂ふなり 軒のあやめも薫るなり 
夕暮さまの五月雨に 山郭公名告りして 慈円

こういうリズム感と色彩豊かにしてなおかつ香り立つような作品を前にすると、梅雨って言うのもあながち悪いものじゃぁないように思える。
気の持ちようですかね。

ドキッとさせられる歌をひとつ。

降りやまぬ雨の奥よりよみがへり 挙手の礼などなすにあらずや 大西民子

参院選の結果次第では現行憲法が変にいじくられ、またぞろ青年たちが無駄死にを強いられかねない世の中がやって来てしまうかもしれない。
くわばらくわばら…

五月雨に題をとった秀句は少なくないが、きりがなくなるのでボクの一押しを3つだけ。

五月雨や大河を前に家二軒 蕪村 

五月雨の降りのこしてや光堂 芭蕉

五月雨を集めて早し最上川 芭蕉



鎌倉・一条恵観山荘にて


国指定の重要文化財の山荘を背景に咲くキキョウが涼しげ=一条恵観山荘

鶴岡八幡宮の源平池に咲く白いハスの花と白幡




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