平方録

彼我の距離は「はるか」かそれとも「たった」か

東京ではサクラが満開になったそうだが、その東京よりもはるか南、鉄道の営業距離に従えば東京駅から51キロ離れたわが海辺の町ではまだ1分咲き程度で、ほとんどの蕾は眠ったままである。

「はるか南」と書いたが、この51キロという数字が「はるか」なのか、「たった」なのかは、その時々、あるいは人によって受け止め方は様々だろうが、電車に乗れば1時間の距離である。
その両地点でかくもサクラの開花具合が違っているということは、かつてあまり経験したことがない。
つまり、例年だとやはり東京の開花の方が早いのだが、気象庁の開花宣言が出るとほどなくしてこちらでも咲き出し、満開の時期もさして違わなかったのだが、今年に限っては東京が葉桜になるころ、こちらでは満開になるのではないか。

だとすると、これは「そこそこ」の距離感と言ってよいのではないか。
わが街が東京から遠ざかっていく……?!
ああいうガスで膨れ上がったような膨満とも形容できる都会にさしたる魅力を感じていないので、遠ざかられても何ら痛痒は感じない。
静かに暮らしたいんである。

昨日は午前中、街の中心部まで姫の洋服を買いに出かけたのだが、初もうで以来の鶴岡八幡宮にも立ち寄るべく段かずらを歩いていくと、吹き渡る風の冷たさはひとしおで、姫は「う~寒っ!」と首をすくめて歩いていく。
段かずらの整備工事に伴ってサクラは植え替えられたばかりの若木のせいか、つぼみはまだ固く、春未だし、の感である。
それでもわが家近辺に戻ってくると、周囲の山々ではヤマザクラがようやくちらほら咲き出したと見えて、所々に明かりを灯したようにポッポッと浮かび上がっているのが目につく。

妻が「山が笑い始めたわね」というと、姫が「え~っ、山が笑うのぉ~、変なのぉ~」とケラケラ笑い出す。
冬の間中枯れたようになって灰色だった山が、春になって花が咲いたり若葉が出始めてくると、山が命を吹き返して笑ったように見えるから、そういう言い方をするんだよと教えてあげた。
教室で教えられるよりも、実物を前にして得る知識である。多分覚えただろう。

八幡様は混みあっていて、本殿前は行列ができていた。
春休みなのに金・土と天候がぐずついたので、一斉に出かけてきたかのようである。
姫も手を合わせて何事かお祈りしていて、後で聞いてみたら、3年生になってクラス替えになっても仲の良い友達と離れませんように、リレーの選手に選ばれますように、とお願いしたんだそうである。
去年の運動会では周囲の見物客から「あっ、あの子早いなぁ~」と感嘆の声が漏れるくらいの走りを見せていたから、大丈夫だろう。

それにしても不規則でまだら模様のような春はもういいから、早く本格的な春になってほしいものである。

 千里鶯啼緑映紅
 水村山郭酒旗風
 南朝四百八十寺
 多少楼台煙雨中

ウグイスの鳴き声が遠く響き渡り、萌え始めた緑に赤い花が映える。暖かな風が水辺の村から山里に吹き渡り、楼閣などの高い建物が春霞の中に煙っている。
春のイメージはこの杜牧の「江南春」に尽きるのだ。



八幡様の源平池のほとりではヤナギの大木の芽がようやく吹き出し、水鳥のしぶきにも寒々しさは消えている
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