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平方録

窓枠を潜り抜けられないシッポ

まだ真夏の空気に入れ替わっていないので、大方丈の大屋根の下の大きな空間はひんやりしている。
もちろん午前8時半の開講時間になれば大勢の人が場を占めるからそれだけで温度は上がるのだが、梅雨時を思わせるようなどんよりした空のもとではそれも限度がある。
おまけに開け放たれた大方丈の扉という扉から流れ込んでくる空気はひんやりしているから、じっと座っている分には肌寒さを感じさせ、いくつかの扉は寒さを嫌がって閉じられてしまうほどだ。
真夏であったならこんなことも無いのに…

初日に扉のすぐ脇に座ったボクは「肌寒さ」に懲りて、2日目は一番奥の書院の席に座った。
ここからは演壇が遠いのでモニターテレビが頼りだが、肩と肩が触れ合わんばかりの大方丈の席と違って椅子と椅子の間が離れている上に椅子そのものが大きいので長時間座っていても楽である。
初日からここにすればよかった。

鎌倉・円覚寺第84回夏期講座2日目。
1講目は横田南嶺管長による「無門関提唱」その第38則「牛過窓檽」。
ごかそうれいーと読む。
大きな牛が窓枠を潜り抜けようとして大きな頭も山のような胴体も何とか通り抜けるのだが、なぜかシッポだけが通れない――これはどういうことであるか、という禅の有名な公案についての解説。
人にはだれでも、どうしても説明しきれない部分というものが存在するのだという。その説明しきれないものをシッポに例えているんだとか。
管長の話は相変わらず明瞭かつ明快。ぐいぐい来る感じ。

見た目は細くて小さいけれど、実際には身体よりもずっと太くて大きなシッポってわけか…
なるほどね。
そういうシッポの存在を自覚できていればいいけど、そうじゃない場合は厄介だろうな。
どうして自分が窓枠を潜り抜けられないのか分からないってこともあり得るわけだ。
いや待てよ、知らぬが仏ってことわざもある。意味がズレちゃうか…

もしかして、川崎の通り魔は自分のそうしたシッポの存在に気が付かず、無理やりの突破を図ろうとした結果じゃあるまいな。
飛躍しすぎか。

2講目は都倉武之慶応大教授の「釈宗演と福沢諭吉の見ていたもの」。
3講目は深沢光代清泉女学院理事長による「教皇フランシスが描く平和のビジョンー教皇来日を記念して」。
居眠りすることなく聞いてはいたが、つまらなかった。

今年の夏期講座は半分終わっただけだが、ボクはこれでオシマイ。
残り2日は別件の用事があり、物理的に参加できない。
残念な気もするが、今後の講義のラインナップにも魅力的なものはない。そういう意味では今年は不作だと思う。
そういう内容的なことも含めて、夏期講座の開催時期はやっぱり真夏じゃないと雰囲気が出ない。
昨日も日曜日だというのに会場の後ろ部分では空席が目立った。
少なくとも80年もの間は真夏の開催だったんだ。ぜひとも再考を求めたいなぁ。

円覚寺黄梅院のシモツケソウ

花かと思ったら何かの実だった=居士林

ウツボグサ?=居士林

イワタバコが咲き出した=龍隠庵への階段の途中の崖
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