元旦の朝も普段と変わることなく午前4時起床。
365分の1が始まった。
一年の計は元旦にありというが、思いついたら吉日というのもある。
元々計画的なニンゲンではないし、出たとこ勝負でやってきたようなものだから、これと言った年頭所感があるはずもない。
「ケセラセラで行くんだからそれでいいのさ」というと、その言葉は周到に準備し、万端を調えてことに臨んだ人が最後に使う言葉であって、ただただ調子よく運を天に任せるだけのやけっぱち気味の姿勢とは相容れないと眉を顰められる。
そんなことわかってらぃ、と心の中で毒づきつつ、流れに身を任せつつ臨機応変にいくしかないじゃんと平常心という言葉を思い浮かべる。
禅では「今を生きよ」と教える。
明日でもない、その先の未来でもない、今その時を力一杯生きるのだと。
起き抜けに出たベランダで肌に感じる新年の空気はキンキンに冷えていて、大晦日に上った100%の月(満月とも言う)が天空の位置で言えば西の方角に移動しているとはいえ、まだ首を上に曲げて仰ぎ見るほど高い位置で輝き、数多の星の光を消している。
澄んだ空気に輝く星座のいくつかでも見たいと思っていたのでちょっとがっかり。
「冬の星座」ってのは文字から受ける印象もそうだが、魅力に満ちている。
また別の機会に。
山形の友人が暮れの内に送ってくれた「啓翁桜」(見出し写真)が元旦の朝を迎えて静かに咲いている。
どこよりも早く、どの品種より早く咲く桜…
サクランボ同様、山形県の東根市界隈が栽培の中心地で、友人の実家周辺で栽培されているが、今年は売れ行きがいいそうだ。
帰省したくてもできない子や孫に、せめて故郷の正月の香りと春の息吹も届けようという親心が都会行きのトラックにたくさん託しているらしい。
2021年の元旦の朝、親の切ない思いをまとった花は大都会のあちこちで花弁を広げていることだろう。