近所に‶ポツンと一軒家〟がある。
平屋の小さな家だが、建物自体をイギリス人が好む深緑のペンキで塗装し、屋根は朱の混じった鮮やかな赤で染めている。
家の背後には大きな竹藪を背負い、それ以外の三方も生い茂る木々に囲まれて周囲からは見えない場所にある。
この時期は庭の片隅にあるモミジが赤く染まっていて、緑を基調とした一幅の絵のようでもあり、2か所に散らした赤が印象深い。
…と、そこまで書いてハタと形容矛盾に気付く。
‶ポツン〟って言うからにはご近所がとても遠い人里離れた山の中のような場所を指すのであって、ボクの家からは歩いて10分少々の至近距離だし、多分、最寄りのバス停まで6、7分もあればついてしまうような便利な場所を指す言葉としてはふさわしくないんじゃないか、と。
山裾の小さな墓地の脇の細道をたどり、うっそうとした竹やぶにそって坂道を登っていくと曲がりくねった先の見通しの良くないところに突如、木々に囲まれた平らな場所が目に入り、竹藪の前にポツンと佇む小ぢんまりした家が現れるのである。
その非現実性が多分、錯覚を招く理由だろうと思う。
ここは以前、今と同じ平屋建ての家が建っていて特に目を惹くようなことも無かったし、神経質な犬が2、3匹飼われていて、近づくと姿の見えないうちから猛烈に吠えるので、さっさと通り過ぎていた。
それが犬の鳴き声がしなくなり、同じ平屋の家が深緑と朱の混じった赤で塗られるようになったのは、ここ2、3年のことだと思う。
余計なことだが、多分、今まで暮らした人とは違う人が暮らしているのだろう。
何せ‶ポツンと〟状態だし、こちらもたまにしか通らないから分からないことだらけだが、これまで1度も住人の姿に出会っていないところを見ると、別荘のように使っている家かもしれない。
建物の南側にはウッドデッキをこしらえ、洒落たイスとテーブルが置かれているから人目を気にしないでくつろぐには格好な場所なのだと思う。
初冬の柔らかな陽の光に包まれ、奇麗に紅葉したモミジの葉がハラリハラリと落ちるのをコーヒーでも飲みながら眺めるのも心落ち着くひと時だろうなぁ、いいなぁと思う。
ボクの家だって庭の真ん中にハート形の葉っぱのカツラの木が茂り、ヤマボウシやハナミズキ、キンモクセイなどが茂るが、如何せん隣家の軒が近すぎる。
だから街中の‶ポツンと一軒家〟ってのもアリかもしれないなぁと、ちょっとうらやましい。