朝食の後、もう一度温泉に浸ってからチェックアウトしようと、大浴場に行ったのだ。
その途中ですれ違った宿の女性が何となくボクをじっと見ているような気がしたが、知らん顔して通り過ぎたのだが、大浴場は既に清掃時間に入っていては入れなかった。
で、仕方なく踵を返して部屋に戻りかけると、件の女性が近づいてくる…
その顔を見て「あっ!」と気が付いた。
1969年のこと。まだ海外旅行は自由化されていなかった時代で、今のように気軽に海外旅行ができる時代が来るなんて想像もつかなかった時代の話である。
そんな時代に1年間、休まず朝夕の新聞配達をしてくれたら洋上大学船を仕立ててアメリカに連れて行ってやる、という試みを朝日新聞社が打ち出したのだ。
その募集に応じた首都圏の大学生男女を問わず400人は1年間、毎朝毎夕、年に4回しかなかった新聞休刊日以外の361日間にわたって新聞を配り続け、8月2日に横浜港から巡行見本市船として就役していた商船三井の「さくら丸」を借り切った朝日新聞洋上大学船を仕立ててアメリカに向け36日間の船旅に出発したのだった。
途中ハワイのホノルルを経てロサンゼルスに上陸し、そこから空路サンフランシスコに飛んでカリフォルニア大学バークレー校の学生宿舎に宿泊するなどして再び船に乗ってゴールデンゲートブリッジをくぐって帰路に就き、ハワイ島のヒロに立ち寄って横浜港に戻ってきた。
当時、大学の友人たちに「ハワイのワイキキで飛び切りスタイルの良いビキニの女性に混じって泳いできたぞ」などと自慢しても羨ましがられるというよりポカンとされたものだが、そういう時代だったのである。
観音温泉でボクの目の前に現れた女性は、その時、同じ船に乗り合わせた旧知の女性である。
聞けばここの女将に気に入られて3、4年前から女将の話し相手兼アドバイザーのような役割で働かせてもらっているのだという。
団塊の世代はもう古希だが、独身だし、一人でぼんやりしているよりは…ということらしかった。
この女性は乗船前から洋上大学を主催した新聞社に出入りして学生のとりまとめ役的なことをしていて、下船後も「同窓会」を何度も呼び掛けている世話好きの名物女性である。
今年は乗船50周年なので盛大に記念式典を開きたいと意欲を示し、「大きな節目なので参加は義務です!」とまで言われ、参加を約束させられてしまった。
そういわれれば今年は2019年だから確かに50年が過ぎ去っている。
まさに光陰矢の如し。
しかし、あんな山の中の一軒宿で50年前の記憶を呼び覚ます女性に出会うとは…
世間は本当に狭い!
帰りに立ち寄った下田の爪木崎ではスイセンの群落が真っ盛り
奥の島影は大島で湘南の海から見るのと違って随分近くに見える
幼稚園児に襲われる!
海の水ってこんなに透き通ってたんだぁ~
爪木崎灯台
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