普段の奇数日曜日は20分の坐禅に続き、坐禅を組んだまま横田南嶺老師による1時間の提唱を聞き、さらに20分の坐禅をして10時に終了する。しかし、昨日は1日から始まった「臘八大攝心」という1年で一番厳しい集中坐禅期間中だそうで、修行僧25人をに厳しい指導をされていて、我ら凡俗のところには姿を見せない。
そのため、20分の坐禅を3回やって終了となったから、生意気にもちょっと物足りなさが残るのである。
「臘八大攝心」の期間中は体を横にして眠ることも許されないそうで、1週間とはいえ、考えただけでも身震いしてしまいそうである。
修行僧を指導するのは僧堂師家と呼ばれる坊さんで、たいがい管長が務めているが、高齢の管長になると体力のある坊さんが代わって僧堂師家を務める場合があるようだ。しかし、横田管長はまだ50代前半だから両方を兼ねていて、厳しい修行の先頭に立っているようである。
禅寺では2か月に1度、こうした集中坐禅期間があるようだから、指導する側も結構大変である。
で、我が身を振り返る…。
大方丈の畳の上で坐禅する場合は1・5メートルくらいの間隔を保って対面する形に並ぶのである。
近いんじゃないのという心配もあるかもしれないが、坐禅中は半眼にしているわけだから、対面している人の座布団の端が視界に入る程度なので、さして問題はないのだ。
つまり、坐禅中は対面している人は視界から消え去るのである。
しかるに…
寒くなってきたせいか、昨日は比較的空席が目立ったのだが、よりによって目の前に若々しい2人の女性が坐ったのである。
しかも2人とも美形である。
真っ赤な口紅が薄暗い大方丈でもよく目立ち、おまけに手と足の爪も赤く塗られている。
少し遅れて大方丈に入ってきた一団の中にいたから、最初に別室で坐り方の基本などを教えられていたはずの初心者である。
困ったと思うと同時に興味もわいた。
困ったと思ったのは、正面でもぞもぞ動かれたりすると、気になってしまう場合と、まったく気にならない場合があるのだが、若くて美形というだけでも気になってしまうものなのだ。
しかも、薄暗い場所で意志を固くして坐っている女性は、不思議と美しく見えるのである。
修行が足らん!と言われればその通りなのだが、屁理屈をこねさせてもらえれば、だからこうして毎週通ってきているのさ、ということになる。
1人の子は組んだ足の下側の足がしびれると見えて、時たま足先を動かしていたのが見えたが、それ以外は2人ともピンと背筋は伸び、もぞもぞすることもなくピタッと坐っていたのは感心なことである。
二十歳前後に見えたが、高校生じゃぁないかと思えるのだ。
如何なる理由で女子高生が坐禅にはせ参じたのだろう。どちらの子が最初に誘ったんだろう。きっかけは何だろう。
初体験をどう受け止めたんだろう…。興味は尽きない。
わが身を振り返ってみれば、やはり最初に円覚寺の門をくぐって坐禅を体験したのは高校生だった。今からちょうど50年前のことである。
坐禅の後、2人と境内ですれ違ったが、明るい日の光の下で見る2人はいかにもあどけなく、大方丈の中で感じたような大人びたところは全く感じられなかった。やはり女子高生に間違いはなかったようである。
何のための坐禅だったのか、忸怩たるところもないではないが、まぁ、いいではないか。そういうこともあるさ。
それにしても、若かりし頃がしきりと懐かしく思えるのも、うらやましく感じるのも、ジジイになった証拠かもしれない。
鎌倉の紅葉は今が盛り。円覚寺境内もきれいに色づいいて、大勢の観光客で賑わっていた
電車が到着するたびに、北鎌倉の駅を降りた観光客が吸い込まれるように円覚寺の門をくぐっていく。珍しく左右両側のチケット売り場を開いて観光客をさばいていた
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