上杉神社前の御堀端に建つ鳥居の前の雪道で待っていると、軽自動車が雪煙を上げてやってきた。
乗せてもらって着いた先は城のすぐ西側の住宅地である。雪道を歩いても6、7分のところである。
「○○氏が藤原鎌足を始祖として、その八代の孫鎮守府将軍俵(田原)藤太秀郷より出ている勇武の名門であることは、疑念を抱く余地もない事実のようである」
先祖についてこう書かれている書物を見せられ、武門の出らしいということは分かっていたが、そこまでの侍だったということは初めて知った。
わが家なんぞはこの○○の傍流の傍流に違いないが、何がしかの縁もありそうなことが、おぼろげながら浮かび上がってきたわけである。
これを見せてくれたご子孫は別姓を名乗られていて、こちらは有名な先祖をもつ家系の人だが、たどると同じ祖先を持つようでもあり、○○について調べている関係者の名前やら住所やらも親切に教えてくれたので、これから少しずつ糸をほぐして行こうと思う。
俵藤太秀郷なる人物は平将門を討ち、大ムカデを退治した豪傑と伝えられる人物ではないか。
そこにたどり着くというのか? ホンマカイナ。
ま、その辺りになるとモノガタリの領域だが、そのうち分かるだろう…。
1年前から始めたルーツの探索。私の性格からすれば一気呵成に白黒つけたいところだが、それは現役時代のこと。
たっぷりの時間を持つ今は、結果を手に入れることより、少しずつ少しずつ手掛かりを探し、糸をほぐしていく過程そのものを楽しむ心持に変わっている。
それ故に、米沢という土地にきてふらりと立ち寄った焼鳥屋の縁で、今回の手掛かりも得られたわけだし、何人かの人ともお会いすることが出来た。
これからも、こうした積み重ね、出会いがあるはずである。むしろそこ、その過程こそが楽しみなのである。
昼飯は田んぼの真ん中にぽつんと建っている、当地は無論のこと近県ナンバーの車が行列するラーメン屋に行く。
しかも、着いたのは開店前だというのに、既に4、5台の車が暖簾が出されるのを待っている。
昭和の昔を彷彿させる極めてシンプルであっさりした味のラーメンで、今どきのこってり、何でもありのラーメンとはまったく正反対、それらとは一線を画している懐かしい味でもある。
こういう味を大切にする山形は不思議な土地である。
米沢の隣町、高畠町にある浜田広介記念館に立ち寄る。
「泣いた赤おに」「りゅうの目のなみだ」「むくどりの夢」などの数々の心にしみる童話の作者である。
前々日に訪れた、やはりお隣南陽市の夕鶴の里資料館の民話の数々もそうだった。
山々に四方を取り囲まれた置賜の盆地は、そういう懐かしさを醸す土地柄でもあるようなのだ。
米沢城跡のお濠に架かる朱塗りの「菱門橋」が雪景色に映える。藩主が使う南の出入り口で、通行は極端に制限され「秘し門」と称されたことで名付けられたそうである。
開店前から寒さを物ともせずに行列が出来る米沢ラーメンの店と絶品ラーメン。
高畠町の盆地の雪景色。
帰りの新幹線では上杉鷹山公のラベルが張られたお酒と殿さまのつまみで締めくくり。
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