元旦に母親たちが帰ってしまった後、風呂にはいつも一緒に入り、寝るときには必ず添い寝をしてくれていたジイジとはお別れしてきたばかりである。
新幹線が宇都宮に近づくにつれて、何か考え事でもしているかのように無口になり、ボ~ッと窓の外を眺めていた姫。
どうしたの、と声をかけるとつくろったように快活な笑顔を返してよこした姫。
夕食の回転すし店でボクの身体をたたいたりくすぐったり、いつもの照れ隠しの親愛の表現なのだが、しきりとそういう行為を繰り返していた姫。
感受性の強い姫には、鎌倉で過ごした日々のことが、優しくしてくれたジイジやバアバのことが忘れられないのである。
次の朝がやってきてしまえば、夢のようだった日々から、またいつもの日常に戻ってしまうことを知っているのである。
特別だった日々に別れを告げ、日常へ戻るための「儀式」が涙なのであろう。
必要な涙なのである。
ジイジにしたって似たようなものだ。
帰りの電車では新聞など読み始めてみたのだが頭に入らず、すぐにやめてしまって、ポツンポツンとした光しかない暗い窓の外をぼんやりと見ながら、時をやり過ごすしかなかったのである。
過ごした時間が濃密であればあるほど、涙の量は増え、空っぽになってしまった「空洞」の容積も正比例して増えるのである。
今回は姫の精神的な成長を感じていただけに、一段とその量も増えているのだ。
姫の母親が戻ってくるのは夕方でいいというものだから、帰り道に上野の東京科学博物館で開催されている「ラスコー展」をのぞいてきた来た。
2万年の時を超えてフランス南部の洞窟から発見されたクロマニヨン人が残した壁画の数々である。
ヘラジカやらバイソンやら馬などの動物が、微妙にデフォルメされながらも実に写実的に、あるいは遠近法まで? と思わせるような技法を用いて描かれた驚異の壁画である。
「ラスコー」とか「クロマニヨン人」という言葉は歴史をたどる上での重要なキーワードの一つで、独特の響きを持って聞こえてくるのである。ボクが高校生のころには歴史の教科書には必ずと言ってよいほど、カラー写真で紹介されていた。
そのレプリカが展示されているというので、ぜひ姫にも記憶の片隅にとどめて置いてもらおうと立ち寄ったのだ。
洞窟を再現した空間に浮かび上がる壁画の数々にも驚いたようだったが、この洞窟を発見したのが4人の少年だったこと、真っ暗な洞窟の中で絵を描くための明かり用に使ったスプーンを大きくしたような「石製のランプ」などに強い印象を抱いたようである。
イヤホンガイドを借りて持たせてあげたので、こちらが気づかないところでも興味をひかれているかもしれない。
一昨年の小学校に上がる直前の春休みにも連れて行ったことがあるが、その時見た恐竜の数々と、江戸時代の女性のミイラのことをよく覚えていて、とりわけミイラは印象的だったらしく、「あぁ、あのミイラを見たところね」とすぐに反応が戻ってきたほどである。
今度の春休みには、次の夏休みはどこに連れて行こう。
知的好奇心を満足させてあげなくては…。今から考えておかねば。
ヘラジカの群れ
洞窟内部を再現した会場の一部
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