今朝4時の室内温度は21度。
雨のそぼ降る外の気温は16度 !
短パンではひんやりした空気が足にまとわりついて居心地が悪い。
おまけにオホーツクの冷気を運んでくる東寄りの風が吹いているので、体感温度はさらに低く冷たい。
こうなるとボクのテンションはダダ落ちで、何もする気にならなくなる。
これを書くのも億劫で、何事かテーマを見つけて書こうという気にもならない。
気分は開店休業で、これ以上は考えることはおろか、キーを打つことも面倒だ。
原因はひとえにこの〝寒さ〟にあるのであって、ボク自身のナマケ心ではない。
と、意味のない自己弁護を書いていることにいささか忸怩たる思いを感じながら、まっ いいか、と思う端から、首筋の辺りに寒さを感じてテンションは下がるばかりである。
昨日、円覚寺の日曜説教坐禅会に行った際に「へぇ~」「ほぉ~」と感じてシャッターを押した写真があるので、それを並べて走り書きを添えておしまいにしよう。
これは8:22のJR北鎌倉駅で横須賀線電車を降りて円覚寺総門前を通り過ぎる人々の列。
ウイークデーの朝に近くの高校に通う生徒がぞろぞろ行くのは日常の風景だが、日曜日のこの時間にこんな行列にお目にかかったのは初めてだ。
多分、この線路沿いを進んだ先にあるアジサイの名所として知られる明月院に向かう観光客の列だと思う。
それにしたって日曜日だというのに、一体何時に家を出てきたんだろう。
これから始まろうとしている円覚寺の坐禅会など眼中になし。
山門をくぐって坐禅会場の大方丈に向かう。ここの境内にだってアジサイは咲いていて、時折落ちてくる雨にしっとり濡れている
横田南嶺管長の日曜説教を聞き、坐禅をした後、心なしか伸びたような背筋を感じながら境内を散策すると妙香池のほとりのハナショウブが印象的だった。やっぱり梅雨に入ったことを実感させられる光景ではある。
坐禅の後総門を出て、線路沿いを鎌倉駅方面に歩き、明月院に至る道路を見やったら案の定、道路は行く人帰ってくる人でごった返していた。この写真の撮影時刻は11:30。
ここまで来る途中、既にアジサイを見終えて戻ってくる人が「もう1時間待ちだよ」と言っているのが聞こえた。さもあらん。
ボクはと言えば人混みが恐ろしくてもう何年もこの時期の明月院には近づいていない。
写真を撮ろうとすれば傘ばっかりが映ってしまうし、目を刺されそうになったことだってある。
長谷の極楽寺坂の途中にあったアジサイの名所・成就院は余りの人の多さに恐れをなしたか、境内整備にかこつけてすべてのアジサイを引っこ抜いてしまった。
あれは大した慧眼だと、ボクは思っている。
今この寺を訪れる人は檀家の人ぐらいで、ガイドブックから消え去った境内はすっかり静けさを取り戻しているのだ。
明月院へ向かう人波に呆れ、君子はまっすぐ道を進むとやがて亀ヶ谷坂の切り通しが現れる。ここにだってアジサイの花が咲き乱れている。
切り通しの坂道を上り切った辺りは「木の下闇」になっていて、それに梅雨空が覆っているせいか、その暗さはひとしお。
鉄道線路の脇には花が多い。特に田舎に行くとその傾向が強まることを思えば鎌倉付近の横須賀線沿いは田舎度が高いということになる。
駅近くの線路わきにはタチアオイが何本も咲いていて、15両もの長い編成の電車が通るたびに揺れ動くさまは悪いものではない。
タチアオイと言えば、下から順番に花が咲いていき、頂上に達するころになると梅雨が明けるというのは、古くから語り継がれてきている〝常識〟でもある。
そのデンでいけばここのタチアオイの意味するところは「あとわずかで梅雨明け」と知らせてくれているようでもある。
でも、よく見ると今咲いている花と花との間が空いてしまっていてつぼみがたくさん残っているというのは、何を意味しているんだろう。
カッと照り付ける太陽に早く会いたい。