玄関を開けて家の中に入るとリビングの大きな窓から差し込む光がやけに明るくて青っぽい。
二階に上がるとその明るさと光り具合はさらに輝きを増していて、これまで経験したことも無いような光のきらめきに包まれていることにどぎまぎしてしまった。
光が青みがかって見えたことも意外で、南の島のサンゴ礁に囲まれ、波もほとんどないような海が太陽の光を浴びて明るい水色に輝き、水中にもぐれば光の筋がはっきりわかるような場面に遭遇している思いである。
とにかくボクを取り巻く世の中は光に満ち満ちてとても明るくなった。
手術の前に担当医で執刀医の眼科部長の女医さんから「手元は見えにくくなりますが、遠くに焦点を合わせて近眼を解消することも出来ます。あるいは近眼を残して遠くを見る時は薄い度のメガネを使い、その代わり手元は眼鏡なしで見えるようになりますが、どちらにしますか?」と選択を迫られた。
ボクは度の強い近眼だったため、コンタクトレンズで矯正してきた。だから裸眼のまま遠くが見えるということに魅力を感じたし、本や新聞を読む時は老眼鏡を使っていたのでその点に抵抗はなかったから、ほとんど迷うことなく遠くに焦点を合わせる方を選んだのだ。
これはごく自然な成り行きだったと思っている。
ただ、説明の時、女医さんは「近くを裸眼で見えるようにしておいた方が満足度は高いです。年を取るとあまり活動的でなくなり、近い所を見て暮らすことが多くなりますよ」と言っていたのがやや引っかかったのだ。
手術はうまくいき、ボクの目は長年の近視暮らしから解放されて、裸眼で遠くが良く見えるようになった。
しかし、ちょっとばかり誤算だったのは、新聞や本を読む場合に老眼鏡をかけるのは当然として、コンビニでおにぎりを買おうとしたとき、商品の棚に並んだおにぎりの文字がぼやけて見えないのだ。
値段を表示した数字はもっと見えない!
続いて入ったドラッグストアでのどの痛みを和らげる薬を探したのだが、おにぎりよりも書いてある文字が分からない。
携えていた老眼鏡をわざわざかけてようやく目指す薬を探すことが出来たのだった。
ははぁ~ん、女医さんの言っていたのはこの辺りのことを指しているのだなと気づいたわけだが、若干の後悔が頭をよぎったのも事実である。
老眼鏡をかける頻度が高いのだ。腕時計で時間を読むのもぼ~っとしてしまっていてカンが頼りである。
スマホに届くメールが誰からのものかも、いちいち老眼鏡を出して確かめなければならなくなってしまった。
隣のダンナがボクよりひと月前にやはり白内障の手術を受けて来たそうだが、ボクと同じく遠くに焦点を合わせたそうで、やはりいちいち老眼鏡をかけて確かめなくてはならなくなって、手術以来ひと月間、毎朝毎朝「手術なんかやらなければよかった」と愚痴り続けているそうだ。
なんとなく気持ちは分かるね。
2週間後に右目の手術が待っている。
両目が揃えばそれに合わせて慣れさせていくしかあるまい。近眼は解消できたのだ。すべて良しという訳にはいかないようである。
多少面倒くさくなるのも仕方ない。慣れるしかないだろう。
カッコイイ老眼鏡をあつらえよ~っと。
退院して戻ってきたら「空蝉」が花開いていた
誤算だったのは花や葉がぼやけること。バラにつくアブラムシの類が見えにくくなると面倒なのだが…老眼鏡を掛けなければ世話がしずらくなりそう
パンジーもそろそろ定植させなければ。こちらの世話にも老眼鏡が必要になってしまった
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