7人兄弟だった母は5番目の4女だったので、ボクには母方のいとこが13人いる。
一人っ子だったボクは小学生のころ、いとこの家に遊びに行くのが楽しみで、大勢で食卓を囲んで食べるご飯がものすごく新鮮で楽しく、調子に乗ってご飯のお代わりをたくさんしたものだった。
その後は年賀状だけの付き合いになってしまったが、16、7年前に「ボクたちもだいぶ歳を取ったし、仕事や子育てに追われることも少なくなったろうから、それぞれ連れ合いと一緒に年に1度くらい集まって昔話をしながら近況報告をしようよ」と呼び掛けたところ、賛同を得て「〇〇家いとこ会」はスタートした。
この集まりを歓迎したのはいとこたちだけでなく、いとこの父母たち、つまりおじさんおばさんたちをも刺激したらしく、いとこ会にはそういうおじさんおばさんが参加することもあった。
このころ、母たちが育った実家は街の発展とともになくなっていたが、おじさんの一人が猛ハッスルして案内役を買って出てくれ、一同を現地に案内して「家が建っていたのはあのあたり」だとか、「バス通りはここらへんでカーブして県庁方向へと延びていた」とか、微に入り細に渡って説明してくれたものだった。
そういう集まりが5,6年続いた後、持ち回りだった幹事役があいまいになってしまい、しばらく途絶えた末に再開したものの、すぐにコロナ禍に見舞われ、活動は再び休眠状態に陥ってしまった。
今回、長男家の長女の音頭取りで実に久しぶりの復活第1回が開かれたというわけである。
残念ながら13人のいとこで集まれたのは4人だけ。
ただ、休眠中に鬼籍に入った最年長のいとこの奥方が娘と息子を伴って参加してくれたのはとてもよかった。
いとこのつながり、絆が横方向だけにとどまらず、縦方向にも伸びていくことになるわけで、いい傾向だなと思う。
今回の会合で母が一番仲良くしていたすぐ下の妹が98歳で元気でいることがわかり、もう一人、今回の会合を呼び掛けた長男家のお嫁さんもまた98歳でかくしゃくとしておられることが分かった。
普段は疎遠で、親戚づきあいは年賀状だけというボクの立ち位置だから仕方ないが、こういう集まりに顔を出すと、話の一つ一つが「へぇ~」「ほぉ~」になる。
かくして、血がつながっているという一点だけで集まって仲良く話をするのも悪くないなと思う所以である。
いとこの一人が持ってきたセピア色に変色しかけた写真