名付けて「2020年コロナめ!句会」を20年6月15日に開いて以来、実に久方ぶりの開催だった。
会の名称は「二合会」。
結成は90年代の事だからそれなりの歴史を刻んできた。
お互い仕事でのつながりから芽生えた信頼関係を元にして集まったメンバーで、いわば異業交流の会でもある。
句をひねり批評し合う時は飲み過ぎないよう「酒は二合まで」という唯一にして実に高邁な会則を掲げた俳句結社なのである♪
会が年輪を重ねるうちに「酒は二合まで」の会則を「酒の種類ごとに二合まで」と拡大解釈を試みるメンバーが出てきて実にけしからんことなのだが、大反対に遭う訳でもなくこの拡大解釈が生存権を得つつあるのも、おおようで自由な会風の表れと自画自賛しているのだ。
しかし、この2年近いブランクは10人のメンバーたちに様々な変化をもたらしていた。
年齢構成で見るとアラフォーやアラカンを通り越した‶アラ古希”?ばかりのせいか、「無事に」集まれたのは5人だけ。
コロナに感染してしまって退院はしたが後遺症に悩まされ「息が続かないんだ」と電話口でもゼイゼイはぁはぁ苦しそうな仲間、長い自粛生活で持病を悪化させ、しかもワクチンを打っていないからと外出をためらう慎重派、80歳に届いてなお社会貢献に駆けずりまわり、句会の後の「反省会」には欠かさず参加し、元気に杯を重ねていた東大工学部卒の才媛も病に倒れてしまって、今のところ外出はままならない。
元気に出席はしたものの、糟糠の妻を病魔に奪われた仲間は悲しみを隠しつつ振る舞っていたが、随分と痩せた後ろ姿が寂しさを物語っていた。
まさに「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」。
人の世の無常さというものを、わずか2年足らずの間に身につまされることになってしまった。
コロ公め!と思うが、降参して白旗を掲げるわけにはいかないし、心身の健康を維持しつつ、打ち勝つまで頑張るしかない。
恥ずかしながら提出した拙句は以下の通り。
尾根道や踏んで気がつく山桜*
早三年マスクしていく木の芽道
遠山にぽつぽつ灯る桜かな*
接骨木(ニワトコ)のひとり起き出す枯野かな
戦争がまだ生きている春や憐れ*
(*印は仲間からの支持があった句)
ちなみに「天」は「戦争もコロナも忘れ初音かな」でした。
(見出し写真はわが家のアネモネ)