稀勢の里という類まれな勢いを身に付けた力士として期待されながら、何とか横綱にはなったが爆発的な力というものは最後まで現れずに怪我に泣き、在位12場所という短命横綱で終わってしまった。
引退に結びついてしまった怪我も、休場して治してしまえばいいものを無理に出場して逆転優勝まで果たし、ファンを熱狂させはしたが、結局その怪我を悪化させてしまったことが取り返しに付かない事態を招いたという点では、自己管理のまずさを指摘せずにはおけない。
ファンのためと言いつつ、ファンを嘆かせ、期待を裏切ってがっかりさせてしまったのは何とも皮肉である。
それでも引退を表明した記者会見で「私の土俵人生において、一片の悔いもございません」と言い切った。
思えばこの力士は番付の上位に上がってきたころから非凡な力を秘めた力士として注目され、大関に上がるまでは順調だったのではないかと思う。
冒頭に書いたような強い力士はこの段階で爆発的な力を手に入れ、早ければ2~3場所で大関を通過してしまう場合もあるのだが、稀勢の里はこの大関での足踏みが長かった。
長かったというより、その力が備わっているようにはとても見えなかった。
それでも人気があったのは、時に横綱さえ圧倒するような強さを見せてモンゴルの猛者たちを子供扱いしてしまう胸のすく勝ち方を見せるからだった。
しかし、次にそれを期待してもあっけなく裏切られるのが常で、一体この力士は強いのか弱いのかという思いが付きまとった。
そして、もう一つこの力士を特徴づけていたのは肝心な時にあっけなく、粘り腰も見せずに「コロリ」という表現がぴったりくるくらいの無様さで負けていたことである。
ファンのやきもきぶりは、そこで頂点に達するのだ。
あの1敗さえなければ優勝できたのに…。あの時勝っていれば横綱昇進にグッと近づいたのに…
その連続だったのだ。
稀勢の里の師匠は「おしん横綱」と呼ばれた隆の里である。
我慢に我慢を重ね、牛歩の如くコツコツコツコツ力を蓄えて、ついには横綱に到達した人である。
力があるのならさっさと綱を張って活躍してくれればいいものを、何も弟子までが親方の真似をしてノロノロ行くこともあるまいと何度も歯噛みをしたものである。
こうやって書き連ねるというのも、モンゴル勢全盛の中で頑張るネイティブの星として注目し、期待もしていたからでもある。
しかし結局、この力士を応援するということが「はがゆさ」と「じれったさ」にわが身を焦がさなければいけないという点において、誠に面倒なことに巻き込まれてしまうことを意味していた。
それでいながら極東の島国に暮らす日本人という稀な文化を持つ民族は、期待は裏切られ、何度も何度も袖にされようとも、今度こそ、今度こそと思いを託し続けたのである。
強者より弱いもの、勝者より敗者に心を寄せる日本人の特性が良く表れていたというべきで、それが「稀勢の里」という、ついに稀な勢いを見せられずに終わってしまった冴えない横綱に集中したということだろう。
やはり今年は暖冬なのか、例年に比べて富士山がぼんやり見える日が多いような気がする
=鎌倉山の散歩道から
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