いとこの中で最も年長で、みんなが何かと頼りにしたまとめ役的な存在だったから、エッ! という思いである。
亡くなったのは2日未明のことだそうで、あと数日すれば80歳の誕生日を迎えるところだった。
昨年の春に肺がんが見つかり、抗がん剤治療などで一時は回復したように見え、旅行にも出かけていたそうだが昨年末に容体が急に悪くなり、年を越すのがやっとだったらしい。
県庁で長いこと役人暮らしを続け、「真面目」が背広を着て歩いているような人で、親戚中から一目置かれていた人だった。
最近途切れてしまっているが、母方のいとこたちだけで「いとこ会」をやる時には欠かさず出席して弟や妹に接するように、いとこたちとその伴侶、あるいはその子供たちにやさしいまなざしを注いでいて、「ああ、あの時は〇〇ちゃんは××だったなぁ」などと秘話を披露して長兄ぶりをいかんなく発揮していたものだった。
ボクも小学生のころは夏休みになると遠浅の海水浴場に面した町の5人兄弟の家に泊りがけで遊びに行き、真っ黒に日焼けして遊びまわったものだった。
ロクに泳ぎを教わったわけではないが、ボクと同い年のいとこの横泳ぎを見よう見まねで覚え、沖の小島まで泳いでいったことがあるが、その時は高校生だった亡くなったその長兄が手漕ぎのボートを借りてきて伴走してくれもした。
いとこ会の席で「あの小島は海岸から2キロ離れていたんだ。よく泳いだよ」といわれ、たかだか2~300メートルくらいだろうと思っていたので、そんなに遠かったのかとびっくりした覚えがある。
知らせをくれた長女からは「父は痛み止めのモルヒネを一度も使いませんでした」と聞いた。
それがせめてもの救いである。
酒はそこそこ口にしていたようだが、大酒のみという話は聞かず、たばこは吸っているのを見かけたことがない。
それがどうして肺がんなのさという思いだが、お別れに行けば詳しいことが分かるだろう。
最近の新聞記事でがんの発病リスクで酒、たばこ、老いが指摘されているのを斜め読みした記憶がある。
酒、タバコの摂取量には個人差があるが、老いは等しく誰にでもやって来るもので、その辺は覚悟しておいた方がいいということなのだろう。
これまで訃報と聞けば、大概おじやおばたちの事で、お弔いの席では「随分長生きだったね」とか「赤飯を焚いてもいいくらいだね」などという会話が成り立っていたものだった。
それが突如、自分たちの世代まで及びつつあるのかと、いささかの戸惑いは隠しようがない。
2019.1.3 AM9:13 稲村ケ崎から撮影
同 9:15 撮影
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