「あいつ……死んじゃったんだよ」
4つ年上の友人から愕然とさせられる電話を受けた。
聞けば、朝起きたら隣に寝ていた奥さんが亡くなって、すでに冷たくなっていたんだという。
しかも、前夜は何事もなく夕食を済ませ、いつものようにテレビを見ながらちびりちびり好みの酒を楽しみつつ、「年末はどう過ごす?」とか「「お正月は何が食べたい?」などと話していたんだそうだ。
そして仲良くダブルベッドにもぐりこんで寝たのも、いつもの通りだったそうな。
ところが、明け方、胸のあたりが重苦しいのに気付いて目を覚ますと、隣に寝ていた奥さんが体を友人の方に向け、腕を友人の胸の上に伸ばしていたんだという。
「○○子、重いよ」と言いながら、腕をどかそうとして腕に触ったら「冷たかったんだ」……
返す言葉もない。
こちらも茫然とするばかりだ。
この夫婦との付き合いは長い。
横浜の関内というところで文芸関係者やマスコミ関係者が通う小さな飲み屋をやっていて、夫婦2人で切り盛りしていた。
焼酎を米軍PX 放出のジンジャエールで割った「ホースネック」や「ニラ豆腐」が名物だった。
ボクも社会人となり20代の半ばからリタイアするまで、仕事の後の深夜の止まり木の一つとして随分通わせてもらったし、看板後はボクの帰宅タクシーに便乗して送り届けることもしばしばだった。
亡くなった奥さんはヨコハマの名門校フェリス女学院の出身で、ボクより一つ年上の誕生日が一日違いの美人で、当時からあの界隈では有名な"かわいい子"だったらしい。
昨日お悔やみに行って来て、家に上がり、初めてダブルベッドで寝ていたことを知り、そのことを冷かしたら「あぁ、○○子は甘えん坊なんだ。一緒に寝て上げなくっちゃダメなんだ」と来年傘寿を迎えようというロージンが真顔で言う。
とにかくヨコハマの事を良く知っていて、極端なことを言えば「文明開化の香り」をまとったような、如何にも「ハマっ子」らしいスマートなオシドリ夫婦だった。
特筆すべきは寝ても覚めてもいつだって2人は離れることがなかったということだろう。
そのダブルベッドにたった一人で寝なくてはならなくなってしまった…
彼はわが俳句結社「二合会」の創立メンバーの一人である。
そもそもこの俳句結社立ち上げのきっかけは、彼の店のカウンターで飲んでいる時に、リタイア後の人生の過ごし方についての話になり、「男というのは名刺を失うと地域社会にも溶け込めずに孤立していくケースが少なくない。それを避けるためには今のうちから気心の知れた連中で集まって、定期的に何か始めておいた方がいいのではないか」という話から、それなら洒脱な俳諧でもやろうじゃないか…ということから始まった。
何より俳句をひねるのに大袈裟な道具は必要ないし、酒を酌み交わしながら楽しめるのもこの上ない条件である。もうかれこれ30年近くになるのではないか。
古くて恐縮ですが、ブログをさぼっていた間の14日に撮影した富士山(以下同じ)
伊豆大島
微妙な距離を空けて砂浜に腰を下ろす3人の女性(若いのか、それとも…)
庭のバーガンディーアイスバーグ