出そうとは思っているのだが、どういうものにするか、まだ一度もまじめに考えていないのである。
少し焦ってきた。
この土日の間には決着をつけなければいけないだろう。
しかし年賀状などと言うものは、もらえば悪い気はしいが、暮れの忙しい時に宛名をいちいち手書きし、しかも一筆添えるような手間暇を、それも数百枚用意しなくてはいけないのが玉に瑕であった。
味気ない商業印刷で済ます手もあるが、それじゃあ個性も出ないし、差し上げる相手にも申し訳ないような気がして、これまでは中学生以降ずっと版画を彫ったりしてきた。
しかし、仕事についてからは忙しいものだから、結局年賀状作成に取り掛かるのは押し迫った30日とか大みそかの晩ということになり、ようやく出来上がったものを年賀状配達の人とすれ違いながらポストに運ぶようなことを繰り返してきた。
だから、当然のこととしてわが年賀状は元旦に届く道理はなく、それも失礼な話であったのである。
現役終盤の10年余りは、習字を習っている妻の筆になる干支の一文字をパソコンに取り込んで、デザイン化していたから、パソコンに取り込む時間さえ確保できればアッという間に出来上がり、宛名さえも自動印刷出来て楽チンだったのだが、今年は再び版画なんぞを摺り始めたのだが、版木を6枚も使う多色刷りに挑んだこともあって、刷る回数は出す枚数の6倍もの労力をかけたのだが、残念ながら必ずしも成功とはいいがたい出来栄えになってしまった。
己の力量を過信し過ぎていたようで、アイデアも美的センスも、もう少し良かったと思っていたのは、単なる思い上がりだったというしかない。
今年こそは時間も十分にあったはずなのだが、ずるずると時間だけが過ぎて行っているのである。
まったくもって忸怩たる思いだ。
今年もまた、年賀状欠礼の知らせがたくさん届いている。
驚かされるのはいずれもかなりのお年を召して生涯を閉じられていることである。104歳という方もいた。
しかし一時期、仕事でずいぶん世話になった方が70代半ばで逝ったという知らせには、小太りながらいつも背筋をピンと伸ばし、血色の良い顔に鋭い眼光を光らせていた現役時代の顔が思い浮かび、ちょっと早いんじゃないかなどと、しんみりしてしまった。
北陸の、ボクより少しばかり若い友人の壮絶な死はショックだったし、悲しく、残念でならない。
円覚寺の横田南嶺管長の死生観を一度耳にしたことがあるが、こんなことを口にしていた。
「人の命というのはシャボン玉のようなものでしょう。生きているときは空中にふわふわと浮いている。死というものは丸く外側を覆っている幕のようなものが消えることを言うのであって、幕がなくなったからといって、幕の内側のものがどこかに消えてなくなるというわけでもありません。単に元の姿、生まれる前の元の状態に戻るだけなのです。シャボン玉ができたときに特別なものが中に入り込んだわけでもなく、ただ、幕ができて、内側と外側が区別されただけで、存在したのは幕だけであったといってもよいのです。死はシャボン玉が出現する前の状態に戻るだけのことなのです」
さぁ~て、年賀状づくりじゃあ~
江の島までの散歩に出た。鎌倉山から見た光る海
昼頃になって雲が少し出てきた
江の島の西側にはこんな静かな道が。江の島神社参道の竜宮城のような門の手前の交番のところを右に折れて上っていくと別世界が広がる
1964年に引き続き2020年のオリンピックで再び使用される江の島のヨットハーバー
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