平方録

6月は雷鳴とともにやってきた

午前4時。雨が音を立てて降っている。一度だけだが雷鳴も轟いた。

何とも派手めな6月の幕開けである。
衣替えの6月でもあるのだが、昨今の気候変化の積み重ねを考えれば時期外れの感無きにしも非ずで、ボクはもうひと月前に済ませてしまっている。
あと2、30年もすれば、今とは想像もつかないような気候変動に見舞われているかもしれない。
それもこれも自然のサイクルが引き起こすのではなく、人為的な理由によることが大きいということがすでに言われているのだが、人類の危機意識はそれに追いついていないかのようである。

今日から円覚寺で恒例の夏期講座が始まる。
今年で82回目だそうである。確か戦争中も休むことなく開かれていたと聞いたが、うろ覚えである。
アメリカ軍は京都や奈良と並んで鎌倉も空襲の対象から外していたので、ひっそりと開催していたものと思われる。

考えてみれば命の危険にだってさらされている大変な時期に大学の講義のようなものが開かれていて、食べ物もろくに食べられないでいる人たちが集まってきて坊主や学者や文化人たちの話に耳を傾けている光景というものを想像すると、それはとても不思議な光景に思える。
どのようなテーマで講義が続けられたのか知りたいところである。
厳しい環境下でも心に余裕を失わなかった人々がいたというのは素晴らしいことで、できればあやかりたいと思うが、果たしてそんな真似ができるんだろうか、自信はない。

昨年成立した「戦争法」によって憲法9条がないがしろにされ、今度また内心の自由をも奪いかねない治安維持法を彷彿させる「共謀罪」が誕生しかけている。
70数年前の過ちが繰り返されてしまう可能性だって否定しきれないのだ。
今は当時と比べれば武器の威力が格段に違うからどんな被害が生まれるか、きっと想像できないような恐ろしいことになるに違いないのだ。
そうした危惧の元になるような芽は早いうちに摘んでしまうに限るのだが、なかなかそういう動きになっていかないから、このままずるずると崖っぷちに追い込まれて行くんだろう。

夏期講座に話を戻すと、去年までの開催は7月20日前後の木金土日の4日間だった。
講座の期間中に梅雨が明けたり、講座が始まる前に明けていたりして、大方丈にぎっしり詰めかけた人々は盛夏の暑さに加えて、人いきれによる暑さにも見舞われていたのである。
それがまた、いかにも夏期講座という名前にふさわしいように思えて、所々で言い訳にもならないように扇風機が回ってはいたが、だれも不平を言わず講義にじっと耳を傾けているのが印象的なのである。
学校の授業と違って、それこそが自らの意思で集まってきて話を聞こうとする人たちの態度なんである。

それが今年から梅雨入り前の開催に変更となり、しかも、事前申し込み制の600人限定となってしまった。
去年までは1000人か、それ以上の人が集まっていたと思うので、400人前後があぶれてしまうことになる。モニターテレビを置いた別会場を用意すると言うことだが、気分が出にくいのではないか。

ただ嬉しいことに、限られた数しかなかったいす席が、今年からすべていす席に変更されるというのだから、こちらは朗報である。
8時半から12時半近くまで畳の上に坐っているのはとてもつらいんである。
ま、ここにも時代の変化が現れたということだろう。
ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず……なのである。

初日は横田南嶺管長による「無門関提唱」、荒井仁牧師の「ハイブリッドな人生」、詩人・谷川俊太郎の「詩の声」の3つが予定されている。
7時半受け付け開始だそうだから、それに合わせて出かけなければ。近いのが利点なのだ。
でも正直言って、やっぱり気分でないんだよねぇ。







わが家のバラもピークから下りに入っている
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