56歳になって全国を回る旅に出、立ち寄った各地に自ら彫った仏像を残してきた。
80歳で1000体、90歳で2000体の造像を誓願したとも伝えられ、現在そのうちの720体余りが確認されているという。
微笑みを湛えているのが最大の特徴で「木喰の微笑仏」と呼ばれ、一目見ればなかなか心から離れない、それくらいに魅かれるところのある仏像である。
世にモナ・リザの微笑があり、アルカイックスマイルと呼ばれる微笑も存在する。
しかし、この仏たちに現れた微笑はまた一味違ったもので、それこそ人間味あふれていて、とにかく懐かしさを覚えるほどだ。そして、その懐かしさに包まれる優しい感覚がまたとても心地よい。
気に入った1体を持ち帰ってわが家に置いて日夜眺めることが出来たらどれだけ素晴らしいか、などと思わせるくらい親しみやすさというものも併せ持った仏像なのだ。
木喰と呼ばれる人が仏像を彫ったその人である。
NHKテレビの「日曜美術館」で生誕300年を記念した展覧会が故郷の身延町で開かれているのを知り、矢も盾もたまらなくなって、あの微笑みに会いに出かけてきた。
この人が木喰さん。「自身像」の顔部分(東京都目黒区・日本民芸館)
これも「自身像」(京都府南丹市・蔭涼寺)
子安観音菩薩(愛知県新城市・徳蔵寺)
恵比寿(名古屋市・宝蔵院)。右手に盃、左手に大きな鯛を持っているのだが、左手の鯛の尻尾が徳利にも見えて、木喰さん意図的か?
如意輪観音菩薩(新潟県長岡市・寶生寺)
近寄って見ると……ふくよかで何とも言えない温かみを湛えた微笑み
一方でこの閻魔大王(静岡県浜松市・得泉寺)、怒っているようだが、あんまり恐ろしくもないのだ
これも「自身像」だが、顔はすり減ってのっぺらぼうになってしまっている。村のお堂に安置されていた何体かの木喰像と共に
子供たちの遊び道具にされ、冬はソリに、イネの終わった田んぼでは泥田の上のソリ代わりに使われるうちにすり減ってしまったの
だそうな。村人も特に注意もしなかったようで、子どもたちは遊んだ後ちゃんとお堂に返して又使っていたらしい。こどもの遊
び相手にもなっていたわけである
左上に写っているのがひっくり返したところの写真で、お腹の部分に子供が入って坐り、ソリの代わりに使っていた
薬師如来(新潟県柏崎市・某所)
地蔵菩薩(日本民芸館)。木喰の魅力を最初に発見し、全国に散らばる木食物を研究しその魅力を世に伝えた最初の人が柳宗悦。
彼が山梨を訪れた際に偶然、個人宅の蔵の前に置かれていたこの仏像を見ていっぺんに虜になった
もうちょっと近づいてみると〝ほっこり〟という言葉がぴったりくるような…
三面馬頭観音菩薩(長岡市・寶生寺)
近づいてみると、この表情もまた得も言われぬ…
柿本人麿(日本民芸館)。なぜ人麿が? 木喰さんは和歌もたくさん詠んでいて師匠として仰いでいたのかも…
幾つか直筆の和歌が展示されていて、その中に「みな人の 心をまるく まん丸に どこもかしこも まるくまん丸」というのを見つけ、
どこかで見た記憶があるなぁと首をひねったのだが、会場で流れていた映像に小泉首相が在任中にメルマガでこの歌を引用していたと
聞いて、あぁそれで覚えていたのだが木喰さんの和歌だったのだと、思わぬところで線が繋がった
注 写真はいずれも「生誕三百年 木喰展 故郷に還る、微笑み。」の図録から
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heihoroku
ひろ
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