これは気圧配置もさることながら、列島中央を背骨のように山脈が貫いていて、日本海側と太平洋側とを分けているという地形的な要素も絡んで、対照的な天候になるのだということを、中学生は地理の授業で習うはずである。
すなわち、高気圧から低気圧に向かって吹く風が、日本海を通過するときに水蒸気をたくさん吸い取って、それが背骨の山脈にぶつかって大量の雲が生まれ、そうなると空気中の水分は雪となって山脈の手前に降り積もるというわけである。
水分を失った風は空っ風となって山脈を越え、太平洋岸の人々を震え上がらせる。
「西高東低の気圧配置」と呼ばれ、日本の冬の特徴の一つである。
この日本海側の越後で育った、えらく威勢の良い政治家が、列島を東と西に隔てている屏風のような山脈の一部を切り取って、雲が生まれないようにすれば、雪に閉じ込められる生活から脱却できるのだ、とまじめに叫んで選挙公約に掲げた。
中国の愚公ばりに、上越国境の「三国峠を切り開く」とやったのである。
さすがにこれは実現しなかったが、ノーベル賞作家が「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」と書いたとおりである。それくらい山脈の東側と西側では天候が対照的だったのである。
ボクなんかは寒さが苦手なうえに、雪に閉じ込められる生活なんてとても耐えられないだろうと思うわけで、太平洋岸に暮らしていることを実にありがたいことだと、しみじみ感じているのである。
昼間なんぞはいくら寒いと言ったって、海岸に出て波打ち際を散歩すると、沖を暖流が流れているせいもあってポカポカと暖かいのである。
砂浜に寝転べば、ついウトウトしてくるのだ。
雪に閉じ込めれれてしまえば散歩もままならないだろう。そんな生活は考えただけで恐ろしい。
雪国に暮らす友人に「ごきげんよう」と電話したら、即座に「ご機嫌なんか麗しくない!」とにべもない返事が返ってきた。
聞けば空き家にしている実家の裏側に降り積もった雪が3メートルにも達し、隣の敷地になだれ込みかねないので、その除雪作業でヘトヘトだというのである。
でも考えようによっては、雪に閉ざされて運動もできないのだから、除雪で体を動かせば格好のエクササイズになるんじゃないの、体形もさぞやスリムになっただろう、と水を向けたら、「スリムになんかならない!」と取り付く島もない。
「終わりのない作業を延々と続けさせられているようなもので…」と言っていたが、そうだとすると、確かにつらいよなぁ。
太平洋岸にぬくぬく暮らす人間と、終わりのない作業に黙々と歯を食いしばって挑んでいる人間との間で、粘り強さを含めた性格が大いに違ってくるであろうことは、容易に想像がつくのである。
間もなく立春である。春はもう戸口の前に立っているともいえるのだ。
次の漢詩が浮かぶ。明時代の陳継儒の「早春」。
春風無力柳条斜
新草微分一抹沙
欲向主人借鋤挿
掃開残雪種梅花
春風はまだ力なくそよぎ、柳の枝が揺れ、
芽生えたばかりの草々がわずかな砂から顔を出す
主人に向かって鋤を借り
残雪を取り除いて梅の木を植えようと思う。
春を待ち焦がれる気持ちが良く表れた詩だと思う。
わが家の2階のベランダではパンジーや勿忘草に加えてアネモネが開いた!
最新の画像もっと見る
最近の「随筆」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事