定番のウメとスイセンの競演を見てこようと思ったのである。
去年は1度も足を運んでいなかったから2、3年ぶりということになる。
階段を上がり、山門を入るとウメの古木群が目に飛び込んでくるが、花の数は紅白ともにそれほど多くはなかった。
北鎌倉の円覚寺のウメはもうすでに終わりかけているし、こちらもそうなんだろうと思いきや、まだつぼみもそこそこついていて、一様でないのが古木らしいところなんだろうか。
年を重ねると一斉に右へ倣えなどせず、てんでんばらばら勝手にふるまうのは人間に限ったことではないのかもしれない。総じて花の数は少ないように感じた。
本堂前のオウバイに至っては、おしべとめしべが目につくものの、花弁がほとんどついていない。もう終わりなのかと思ったら、花弁が退化してしまっているのがこの種の特徴だと知って、へぇ~と思わされたものである。
やっぱり花弁というものがないと、見た目も良くないし、満開だと言われても物足りなさを感じるのは、見る側のわがままなんだろうね。
オウバイにしてみれば精いっぱい咲いているのだと思う。
てなわけで、湯河原の幕山の梅林のように、紅白の梅が一斉に咲いたところの見事さを知っている身には、物足りなさを感じてしまうのである。
毎年見ているわけではないから分からないが、瑞泉寺のウメはこんなもんなんだろうか、という思いである。
ウメの足元に植えられたスイセンも株分けでもしたのか、今一つ沸き立つようにこぼれる花で株が覆われるというようなこともなく、なんとなくお行儀よく、ちんまりと咲いている印象である。
西側を除いて三方を山に囲まれて建つこの寺のベストシーズンは新緑の頃だろうと思う。
濃淡の違いを見せて一斉に芽吹いてくる若葉のシーズンは境内が清新な空気で包み込まれ、それはもう何時間でも座っていたくなるような気分にさせられるのだ。
帰りがけにちょっと寄り道をして茅葺の杉本寺に回った。
ここは鎌倉で最も古いとされる、天台宗の寺である。734年に光明皇后が大臣藤原房前と僧行基に命じて建立させたと伝えられている。
この時行基は自ら十一面観世音を刻んで安置し、851年には僧円仁(慈覚大師)が参篭して十一面観世音を、985年には僧源信(恵心僧都)が花山法皇の命によって十一面観世音を刻んで奉納したことから、三体の本尊が今に引き継がれていて、本堂奥の防火づくりの特別な場所に安置されている。
そういう秘仏なのだが、本堂に上がらせてくれ、拝むことができるのである。禅寺も素朴な感じがするが、その素朴さとはまた一味違った味わいを醸し出している寺で、鎌倉の中でも好きな寺の一つである。
ところで歩き回れば腹も減る。しかし、水曜日の鎌倉は休みの飲食店が多く、あてにしていた店がことごとく閉まっていてがっかりした。
春は足踏みといったところである。関係ないか…
本堂前のオウバイは満開なのだろうが、花弁が退化しているのでもう一つ物足りない。最初は散ってしまった後かと思ったくらいである
古木に咲く白いウメの花もあまり目立たない
ウメの木の足元のスイセンは株分けされたばかりのようである
ミツマタがぼちぼち咲き始めている
山門に掲げられた川端茅舎の句「草餅の柔らかければ母恋し」
開山・夢想国師の手になる庭園
鎌倉最古の寺とされる茅葺の杉本寺
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