丸二日、びたびたと音を立てて降り続いた真冬のような冷たい雨がようやく止んだ。
日が昇るにつれてまだ薄いけれど青い空が広がり始め、間もなく50時間以上ぶりの日の光が差し込んでくるはずである。
2日も雨に降り込められることもさることながら、気象庁が「2月並み」と表現するくらいの寒さには気力もそがれ、ずっとコタツのシミになりきるしかなかった。
これが4月の始まりとは情けなや情けなや…
まぁ、お陰で亡くなったノダトモスケさんの著作をあれやこれやつまみ読みして、ずいぶん昔のことを思い出したりもして少しセンチにもなった。
ボクが社内報で書いた「無謀な?! 四万十川カヌー単独行」を読んだ同僚から「今度はぜひ俺も連れてってくれ」とせがまれ、5月の連休を利用して‶PTA会長〟になった時は楽しかった。
家族を連れて参加した先輩は流れに漕ぎだした途端、何でもないところでバランスを崩してチンしてしまいずぶぬれになった。
炊事時は他の連中が火をおこしたり材料を刻んだりしているのに、何もしないでタバコをふかしながら眺めているだけ。
食べ終われば自分の食器は川で洗い、次に備えるのだが、それもやらず同行した奥さんにすべてやらせている。
「なんで自分でやらないんですか」と詰問すると、「だってお前『男子厨房に入らず』って教わらなかったか?」と真顔で言う。
「あのねぇ、どこに厨房があるんですか。ここはだだっ広い四万十川の河原ですよ。自分のことは自分でやる。それが掟です」ときつくしかった。
何だかぶつくさ言っていたが、後で小学生だった息子に聞くと「食器は僕と一緒に洗うようになりました:」と言っていた。
横浜に戻ってからは、この時の話が時々酒の肴になったが、キャンプ料理の腕が上がったと自慢するようになったのは四万十河原教室での教育効果である。
60歳で要職をあっさり投げ捨て、嬉々として野遊びに興じていた先輩は心臓の病気であっけなく逝ってしまった。
彼とは社内で唯一と言ってもいいくらい気が合い、互いを尊敬し合えた仲だった。
「待ってるからな。一緒に心行くまで遊ぼうぜ」と言っていたくせに…
3人の子どもを相次いで小児がんで失った後輩も元気についてきたのに…
今、どこで何をしているのだろう。

港の見える丘公園のソメイヨシノとベイブリッジ




公園内のソメイヨシノの古木



