小学校に上がるか上がらないかの頃の事だったと思うから、ちょうど昭和30年ころのことだろう。
タケノコの皮の表面を覆っている産毛のようなものをきれいにこそぎ落としてつるつるにした後、つるつるにした表面を外側に二つ折りにし、梅干しを挟んでチュウチュウ吸いつつ嘗めていたことを思い出した。
皮は口に入るように、細く割いて使ったものだった。
吸い続けていると、なぜだか表面が赤紫色に染まっていき、梅干しの酸っぱい味が伝わってきて、子ども心に楽しかった記憶がある。
近所のガキたちと一緒に誰の皮が一番早く赤くなるかも競っていたと思う。
何でそんなことをしていたのかと言えば、物のない時代のおやつ代わりだったのだ。
おやつと遊びがセットになっていて、物がなければない分、ヒトという生き物はいろいろ工夫するものだと感心する。
間もなくタケノコシーズンの幕開けだろうから、今年はウン十年ぶりに‶タケノコチュウチュウ〟をやってみようと思う。童心に帰って…
わが家周辺の竹林は3、4年前に次から次に花を咲かせ、ドミノ倒しのように枯れて行き、異様ともいえる風景が広がったが、それももう落ち着きを取り戻し、元の青々とした竹林が戻りつつある。
間もなく地元の農家が早朝に掘り起こして来たばかりの採れたてのタケノコが無人スタンドに並ぶ。
楽しみに待つとしよう。
20代の頃、南足柄の旧家で育った先輩から「タケノコのサシミでも食べに来ないか」と誘われて、同僚と大雄山のふもとを尋ねたことがあった。
タケノコのサシミ…に興味津々だったボクたちの前に出されたものは、なるほど「これがタケノコ?」とビックリするくらい繊細で柔らかく、しかし歯ごたえがしっかりとしたシロモノで、湯がきもせず、魚の刺身のように捌いたまんまをそのまま口にしているのだという。
これが、わさび醤油をちょっとつけて食べると、冷えた日本酒に実に良く合って、大いに納得しつつ酔っぱらったものだった。
先輩に言わせると、「君らが到着する30分前に裏の竹林から掘って来たばかり」のタケノコで、それも先端部分から3分の1くらいまでしかサシミ用には使えないということだったから、竹林の持ち主の特権のような食べ方なのだ。
わが家周辺でも採れたてタケノコは入手可能で、現に時々さっと湯がいたものが食卓に出てくることがあるが、初めて口にしたあのほのかな香気が立ち上るような正真正銘のサシミはやはり別格だとしか言いようがない。
茅ケ崎の里山公園の竹林では早くも顔をのぞかせていた