2、3年前までは7月下旬の開催だった。
だから夏期講座が始まるのと同時だったり、期間中だったり、すくなくとも4日間のどこかで梅雨が明けたものだった。
セミ時雨の中、大方丈と書院に入りきらない人は濡れ縁にまであふれ、あるいは庭に張られたたテントの中のモニターテレビの前で講義を聞いたりするほどの盛況ぶりだったのである。
禅寺だから冷房設備なんてものはなく、大方丈の四隅におかれた扇風機の風が罪滅ぼしの如く空気を掻き混ぜてはいたが、当然のことながら人々の熱気に追いつくどころではなかった。
それでも夏期講座なんだから暑いのは当たり前、とセンスや団扇で風を作りながら聞き入ったものだった。
開け放たれた扉から迷い込んだトンボが人々の頭上を行ったり来たりした挙句、また外に飛んで行く光景というのもいいものである。
それが6月早々に開講が早まるとともに定員制を取るようになり、今年は初日が土曜日だというのに、会場内にはまだまだ余裕があった。
定員に達しなかったため、5月の申し込み締め切りが10日ほど延長されたのだが、それでも定員には届かなかったらしい。
それも当然だろう。
学生は参加しにくいし、第一、汗を拭き拭き集中するのが夏期講座ってものだろう。
俳句の季語にもちゃんと加えられているし、梅雨入り前の夏期講座なんてやっぱり気分は出ないや。
新鮮な空気と友達でいようと、ボクは一番外側の席に座ったのだが、じっとしているから余計に感じるのだろうが、風が冷たくて持参のウインドブレーカーを羽織るほど肌寒かった。こんなこともあるだろうと羽織るものを持って行ったのだが正解だった。
初日の1講目は横田南嶺管長による「無門関提唱」。今回は第37則から。毎年4則づつ進むから、開始以来10年目ということになる。
2講目は俳人の長谷川櫂さんによる「俳句的死に方」。そして3講目がワセダの熊野宏昭教授の「ストレスに負けない生活」。
「俳句的死に方」にちょっと期待したが、正岡子規と松尾芭蕉の死を例示して話していたが、何かピンと来なかったのは時々フッと眠気が襲ってきたためで、個人的な理由である。
「ストレス―」はいわゆるマインドフルネスのことで、医学的な見地から見ても効果が高いという話だった。
「マインドフルネスは現実について考えるのではなく、あるがままに感じ取ろうとする心の持ち方」なんて説明を聞くと、ふぅ~ん、坐禅にも一脈通じるところがあるんだなぁというのが感想。
初日は大失敗してしまった。
メモ用紙は用意したのだ。ところが肝心のペンを忘れた。
スマホのメモ機能…これも電池マークが赤色になっていて充電した来たはずだったが、十分ではなかったらしい。
かくして記憶力が衰えているジジイとしての自覚が足りず、ザルの荒い目から貴重な水が汲み上げる以前にどんどんこぼれて行ってしまった。
昨日の朝、家を出ようとしたら待ちに待った「トーキョートッキョキョカキョク」という甲高い鳴き声が耳に届いた。
待ち望んだホトトギスの鳴き声である。
1週間旅行している間に鳴き始めたらしい。奴らは自分たちの卵をウグイスの巣に産み落とすのだ。すると、気の良いウグイスは自分の卵だと思って温め、雛をかえすのである。
もちろんエサやりも…
ホトトギスの親はといえば件の鳴き声を夜となく昼と無く響かせるだけ。
そういう屈託のなさ、あっけらかんとしたところがこの鳥にはある。
普段は閉じられている菊の紋章の付いた勅使門をくぐって大方丈に入る
今年の「ローゼンタール・シュパリースホープ」は房状に花が付いてその部分は豪華なのだが、株全体にまんべんなくというところが薄れてしまった
強いせん定をしたおかげで花の付き方に不満あり。秋に期待だ
旅行から戻るとホタルブクロと八重のドクダミが盛りを迎えている