一旦は赤になる気で芽吹きをり
大正時代に生まれた後藤比奈夫の句だが、今、一番花を咲かせ終えたばかりのわが家の「空蝉」に"その気に"なっている枝が現れ、赤い葉をサツキの空に「どうよ♪」とかざし、自慢げである。
この句について大岡信は「この句はただの木の芽を詠んだものではなく、芽が芽吹く時のすっくとした勢いのいさぎよさそのものを詠んだものである。『一旦は』という語の大切な意味はそこにある」と解説している。
まさにこの句の一番のツボは「一旦は」にあることは間違いない。
最終的にはフツーの植物の葉っぱ同様、緑色に変わり、それまでのはねっ返ったような態度はケロッと忘れ、何事もなかったように"良識ある小市民"として一生を終えるがごとくの道をたどるのだろうが、何故かその凛として颯爽とした姿はイナセで見惚れるほどに美しく、ボクの目を引き付ける♪
一番花を咲かせ終え、2番花を咲かせるために緑の葉を一層濃くしつつ、光合成に余念のない株の只中にあって、ぐんぐんと茎を伸ばして来た一枝がまさにそこだけ葉も茎も異様に赤いのである。
この有り様を見るにつけ、一旦どころか本気なんじゃないか…
本気で"赤い一生"を目指しているんじゃあるまいか…などと、見守る側の心は落ち着かない。乱れる。
でもその一方で、もしこのまま緑に戻らなければ"銅葉のバラ"として新種登録して売り出せば…などと捕らぬ狸がノコノコ現れたりもする。
話が脱線してしまったが、大岡信が解説しているように、ここでは「芽が芽吹く時のすっくとした勢いのいさぎよさそのもの」に感動する場面だった。
我が「空蝉」もまさに、その渦中にあり、艶やかとか妖艶とか清楚などの賛美表現の多いバラの世界にあって、"勢いの潔さ"という側面にしばし見とれていようと思うのである♪
緑の葉の只中に…
赤い葉のどこにも緑に変わる気配すら浮かんでいないように見える
2種類のバラじゃないよ、同種同株だよ
おぬし、相当本気じゃな
一旦どころか…
挿し木して3年目の「空蝉」 こいつは寝坊助で今一番花
こちらは赤い葉が現れた株に咲いた1番花と2番花の間の"1.5番花"
同じ"1.5番花"