しょせん今時の政治家を自認しているヤカラが見ている世界というのは、国民のことやこの世の中の未来なんかこれっぽっちも眼中になく、おのれの利権や自分が如何に表に出ていられるかという類の事だろう。
そういうことをつくづく思い知らされるのが、昨今の自民党総裁選や総選挙を巡る様々なうごめきで、誰と誰が総裁選に立候補するとかしそうだとか、はたまた支持率が地に落ちて著しく評判の悪い現職にもかかわらず「支持」表明が相次いだり、まったく持って不可解千万とはこのことかと思う。
任期満了に伴う総選挙が近々実施されるのは当然として、かくも評判の悪い現職を再び選んで総選挙に打って出ても、現状では勝利はおぼつかないに決まっている。
そのことが分からないわけがなかろうと思うし、あの大将に率いられたのでは勝てるわけがないという情勢であっても何故その大将をもう一度担ごうとしているのか。
答は一つしかないのではないか。
つまり、国民の政府に対する様々な不満や憤怒を一人で浴びてもらい、その責任を一身に背負ってもらって討ち死にしてもらう…それ以外にないのではないか。
というのも、新たな総裁を選び直して選挙に臨んだとしても、積み重なる政府に対する悪評を打ち払って再び3分の2もの議席を与党で締めるなんてことは、ともかく不可能である。
とにかく‶生贄〟を差し出さないことには国民の怒りは収まらず、とても納得してもらえないだろうという考え方に他ならない。
ならば、とことん評判の悪い現職をもう一度看板に据えて選挙を戦い、大敗した後に責任を取って辞めてもらう、つまり諸悪の根源として国民に首を差し出しますから許してくださいという魂胆ではないか。
そうすれば国民の怒りも自然と収まり、支持も回復するであろうくらいに考えているのである。
ローガイ幹事長が、そして国対委員長までもが足並みをそろえてガース支持を口にし、最大派閥に属するアベなんちゃらが、2番目に大きな派閥を率いるアソーも足並みをそろえる現状はそうとしか考えられない。
そう勘繰りたくなるくらい、ボクにはまったくもって不可思議な光景としてか映らない。
当然ながらそこに国民に対する視点も無ければ、現在の深刻なコロナ危機に対する与党としての責任のカケラさえうかがえないという現実は、実に深刻である。
(見出し写真は近所のお寺で見かけた花托)