世の中の相場観のようなものに従えば「禁漁明け」って言うのは、大漁は望めないとしても、そこそこの大きさに育った姿かたちの良い獲物が、これまたそこそこに獲れるという期待を抱くのに特段の無理があるとは思えない。
そのデンで行けば年初から続いていた湘南のシラス漁の禁漁期間が東日本大震災と同じ11日に明け、今日で1週間経つというのに、いまだにわが口に入るどころか姿も見ないというのは、どうにも間尺の合わないことである。
資源保護のために相模湾一帯のシラス漁業者でつくる組合の自主的な取り組みなのだが、禁漁明けに漁獲がないというのは例年のことだが、如何にも寂しい。
そもそも冬はイワシの産卵が鈍りがちで、元々稚魚が少ないところに持ってきて寒風をついて早朝の海に漁に出るより休んじまったほうがよかんべ…とかなんとか、その若干の怠け心を資源保護という格好のオブラートに包んじまえ、という知恵モノがいたんじゃないかと疑っている。
そんな具合だから、例年、市内の網元の直売所やめっきり減った魚屋の店頭に並ぶのは5月の大型連休のころになってからだ。
それだって海水温が低ければ獲れないし、なかなかデリケートではあることは間違いない。
今年は暖冬気味だったから、海水温だってソコソコだろうと思っているのだが、はたしていつ頃になったら口にできるのだろう。
元よりシラスは足が速いから流通ルートには乗りにくい魚である。
畢竟、水揚げされる場所近くでの地産地消が基本となる。
鎌倉市内や隣の藤沢市内、江ノ島島内の飲食店にはシラス目当てにやって来る観光客も大勢いて、こじゃれた店の行列ときたら目を剥くほどで、昼時に並んでも口にできるのは夕食の時間 ?! って言うのは冗談だが、かなり待たされるはず。
それでもじっと並んで待っているから、日本人という民族の我慢強さというか、付和雷同型民族の真骨頂を思い知らされる。
シラスに群がる人も釜揚げは食べても生はちょっと、と敬遠する人は案外多い。
しかし、本当に美味しいのはやっぱりちょっと前までぴちぴち跳ねていた生きのよい生のシラスで、ボクの場合は醤油が少なめの酢醤油かショウガ醤油に気持ちだけつけて食べると甘さが口中に広がって、辛口の冷えた日本酒にとても良く合って、至福のひと時となる。
温かいご飯の上に大葉の千切りを敷き、その上にたっぷりのシラスを乗せ、さらに卵の黄身だけ垂らして醤油で味付けし、かき混ぜてわしわし食べるのもグッドである。
こんなことを書いていたら、ホントによだれが垂れてきた。
生のシラスに早くお目にかかりたいものだ。
(見出し写真は鎌倉山から。間もなくサクラの花の額縁に入った富士山が見られる)