落葉樹と照葉樹の混じる鎌倉の周囲の山々は緑の濃淡で作り上げられたパッチワークのようで、なかなかの見ごたえである。
こういう素晴らしい天候の日は年に何度もあるわけではない。家の中に閉じこもっていたのでは、何のための“自由人”かということになりかねない。
1日目は鎌倉から海沿いに西に往復40キロ、2日目の昨日は東へ同じく35キロ、自転車でパトロールしてきた。
一昨日は南寄りの風がちょっと強めで、西に向かう自転車には向かい風となって少しうっとうしかったが、昨日は風も弱く、それこそ絶好のパトロール日和となった。
東への道は専用道路がなく、しかも半島の道は狭くてアップダウンがいささかきつい。
アップダウンはいいのだが、狭い道はいけない。
半島の中央を三崎の入り口まで高速道路が延びたのでそれほどでもなくなったが、高速道路がなかった時代は三崎港や長井港で水揚げされた魚やダイコンやキャベツの三浦野菜を満載した大型トラックがビュンビュン行き交う、それはそれは恐ろしい道路で、まったく近寄れなかったのである。
今だって時折、冷凍保冷車などが轟音を立てて通り過ぎてゆく。
ストレスを解消するどころか、トラックに怯えながら走るのは、それこそストレスの塊で、それならば家でじっとしていた方がましなのである。
そんなわけだから、東に向かう際はなるべく国道は避け、住宅の密集する細い道を選んで縫って走るのである。
これだとスピードは出せないが、よそ様の庭を覗いたり、家々が並ぶ町の佇まいを眺めながら走るという、別の楽しみもあるというわけなのだ。
臆病者にはもってこいのルート選びということになる。
なにより住宅街の細道は綺麗なお姉さんに出会う事が少なからずあり、そうなると、またこの道を通ろうという気なるのだ。
東にコースをたどるというのは、三浦半島の西海岸を走るわけで、正確に言うと最初だけ東に走り、半島の付け根から南下するわけである。
そうなると、西に向かうのとはまったく違った景色が現れる。
サイクリングコースを西に走る場合は富士山に向かって走るのだが、こなたは相模湾を隔てて江ノ島や稲村ケ崎の上に富士山が顔をのぞかせるという、絵葉書のような景色が広がるのである。
さすがにこれはこれで絶景中の絶景なのである。
江ノ島と稲村ケ崎という比較対象が配されているためか、日本一の富士山だが、やけに高い山に見えるのだ。
これが西に向かって走ると富士山は思ったほど高くはない。ちょっと大きく見えるだけである。
距離にして高々10~20キロくらいの差だと思うのだが、目の錯覚もあって、それなりに変わってくるから不思議である。
もうひとつ、西と東では海岸の表情がまったく異なるのだ。
別に泳いだり水遊びするためにパトロールしているわけではないが、時折の休憩には水に触れて見たいと思うものなのだ。
西は長い長い砂浜が弧を描いて小田原の手前の酒匂川河口付近まで延びている。
そして三浦半島は活断層が何本か走る“地震の巣”だけあって海岸線もでこぼこなのである。
お陰で綺麗な岩場があちこちにあって、水遊びには格好なのである。
15~16年前くらいまで、この三浦半島の西海岸をフィールドにシーカヤックで遊んでいたのだ。
就いたポストの関係からゴルフを強制され、カヤックもゴルフも休みの日にしかできないので、泣く泣くカヤックを手放したんである。
昨日のような穏やかな海にシーカヤックを浮かべてひとり群れずに遊ぶのは、実に心地よかったのだが…。
そう、カヤックの師匠と勝手に慕っていた野田知佑が書いていた。
「男は群れるな。1人で荒野を目指せ!」と。
その通りだと思って生きてきたんである。遊びに限った話ではないのだ。
それも今は昔。ロングロングアゴーである。
江ノ島と稲村ケ崎を従えてそびえる富士山
富士遠景
森戸神社裏手の石原裕次郎のレリーフ
レリーフの下の海岸
わが左足
小さな漁港の昔からある小さな食堂のオムライスは卵でくるまず、手抜きの“のっけ”だったが、美味しかった
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