昨日は夜明けごろ晴れていたと思ったら一転して雨が降り、止んだかと思うとまた陽がさし、そしてどんより曇り、夕方になって晴れ渡ったなと思ったらまた…、というようにめまぐるしいというか、落ち着きのない1日だった。
ただ、温度は15度くらいまで上がり、寒さの底からは脱しきったような気がする。
季節は二十四節気の「雨水」の末候で「草木萌え動く」ころらしい。
木の芽起こし、という言い方をよく耳にするが、木の芽が膨らむのを助けるような意味合いだと知ると、肯けるのである。
わが家の庭も瑞々しくなってきたようで、雨が沁み込んだ土がやけに黒々として見え、寒さに耐えてきた植物たちもひと息ついているように見える。
この時期の雨は「催花雨」ともよばれ、その名のとおり、ひと雨ごとに春が確かなものになってゆく。
花と言えば既にウメが終わりかけ、早咲きのサクラが所々で咲き始めている。
足許に目を転じれば、これはもう一月ごろから日当たりの良い道端で咲いているのだが、オオイヌノフグリという小さな花のコバルト色の色合いが一層濃くなってきたような気がする。
お世辞にも派手な花とはいえないが、健気さを感じさせる小花である。
中東からヨーロッパにかけてが原産の植物で、文明開化とともにやってきた帰化植物で、在来種のイヌフグリを蹴散らして広がったらしい。
それゆえ、芭蕉や蕪村は見ていない花だが、高浜虚子が俳句に残している。
犬ふぐり星のまたたく如くなり
大御所と言われたご仁に失礼だが、たいした句じゃぁない。
それにしても、よりによってフグリとは、よく名付けたもので、理解不能である。
ウメやサクラばかりが花ではなく、ツバキも忘れてはいけない。
あの照りのある緑は、よくぞと思えるほどに頼もしいが、その濃い緑の中に点在する花の蜜を吸いにメジロがやってきて飛びまわるのを見るのは嬉しい。
しかし、乱暴者のヒヨドリもやってきて、メジロを蹴散らしたりして騒々しく蜜を吸っていくサマは実に憎たらしいものがある。
某大手新聞社のドンと呼ばれ、長いこと主筆に君臨しているW某が、新宿御苑に近い自宅に餌箱を置いて小鳥を呼んで楽しんでいると、小鳥たちを蹴散らして現れるのがヒヨドリなんだそうだ。
その先が実にW某らしい。
ならず者のヒヨドリからメジロやシジュウカラなどの小鳥を守るため、事もあろうに空気銃を買ってきて、ヒヨドリに向けてぶっ放しているんだそうな。
もっとも、かれこれ十数年前のエピソードで、この行為を堂々と披露しているところも、らしいといえばらしいのだが、たしか、国の防衛にも例えていた。
その点はいかがかと思うが、ヒヨドリを目の敵にする気持ちは同様である。
かくいう私はかつて、パンジーの花ビラが食いちぎられているのに気付き、はて、だれの仕業かと注意を向けていたら、まさにヒヨドリが食いちぎるところを目撃して激高した。
一計を案じ、トリモチを買ってきて棒きれになすりつけ、これをパンジーの株の間に数本差し込んでおいたんである。
陽が昇って間もなく、庭からギャアギャア叫ぶ鳥の声が聞こえ、のぞいて見るとヒヨドリが羽を取られて大騒ぎしている。
それっ、と外に出て見たが既に飛び去っていて、辺りには十数本の羽が散らばっていた。
それ以来、わが家のパンジーにヒヨドリが近づくことはないが、最近はDNAに刻まれていない別の個体の系統が入り込んできているのか、花びらが不自然にちぎれているのを見かけることがある。
たわわに実をつけ、冬場の格好のえさ場となっていたナンキンハゼを切ってしまったので、来年は余計に心配である。
花を守るために本腰を入れる必要が出てくるかもしれないが、当然、専守防衛の枠内でやるつもりである。

雨が止んだと思う間もなく青空が広がり、クリスマスロースに夕陽が差しかける。