午前8時15分を回ったころだったと思うのだが、横須賀線の円覚寺踏切を渡ると目の前の総門下に人が行列していた。
「ん? 何事? 」と思って周囲を見回すと、総門が閉まっている。
はて、開門は午前8時きっかりのはずだが…小
開門を待っている人々は午前9時からの横田南嶺管長による日曜説教とその後の坐禅会を目当てにやってきた人々である。
この間に横須賀線の電車は何本も北鎌倉駅にとまったので、日曜説教を聞きにやって来た人の列は改札口に届いてしまっていたようだった。
結局、門が開いたのは8時30分になっての事だった。
朝が早いはずの禅寺、それも一派の大本山が寝坊するわけはないし、しかし、何があって開門が送れたかは分からずじまい。
とにかく仏殿でご本尊にご挨拶と思ったら、大きな幕で覆われてご本尊の姿を拝むことはできなかった。
このことと何か関係があるのだろうか…
まっ、このことはともかく、説教の中身は興味深かった。
「仏教の教えは24文字に要約される」というもの。
法華経の一節にある「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 當得作佛」の24文字。
意味は「私はあなた方を深く敬います。絶対に軽蔑しません。なぜかといいますと、あなた方は皆菩薩の道を実践して、将来は必ずや悟りを開き、仏になられるからです」ということだそうだ。
常不軽菩薩という人が、経典の読誦などはせず、どんな人にでも会う人ごとに、こう言っては礼拝していたそうだ。
しかし、中にはこういわれて不快に思う人もいて、ののしられもしたが、怒ることなく礼拝を止めることは無かったそうで、かの良寛さんも「僧はただ万事はいらず常不軽菩薩の行ぞ殊勝なりける」と詠んで深く尊敬していたそうである。
この常不軽菩薩の心こそが法華経の神髄であり、仏教の教えを要約したものに他ならないとされているのだそうな。
坐禅をする目的はこういう心境に到達することにあるんだろうが、ボクに限っては道は遠いと言わなければならないのが、いささか残念ではあるが、「そういうことなんだよ」と言われれば「はぁ、そうですか」と答えるしかない。
これだけ読んでも何のことかよくわからないでしょうが、時間があり、若干の興味があったらパソコンで「円覚寺」のホームページを開き、「日曜説教」の中から直近の回を見てみたらいかがでしょう。
間もなく秋の彼岸だし、禅寺の高僧という人がどんなことをしゃべるのか、一度聞いてみても罰は当たりませんぜ♪
中身は40分ぐらいだと思います。
開始5分前の大方丈の様子
コロナ以前は手前の廊下にも立錐の余地がないくらい人が詰めかけ、人いきれの中で開催されていた
コロナ以降、YouTubeでのライブ中継もあって、人が減ったのは確か
龍隠庵からの眺め
深い木立に囲まれた大方丈
黄梅院門前に毎月替わりで掲げられる横田管長揮毫の坂村真民の詩
黄梅院の蹲には引っこ抜かれた? シュウカイドウが茎と葉っぱ付きで…
それにしても花はどこにも咲いていない
数日前に訪れた光則寺や海蔵寺でそこそこ楽しめたのは奇跡だったのかもしれない
小さなチョウチョがいた=黄梅院
小さなチョウチョがいた=黄梅院
ムラサキシキブ? =居士林
寂しげな白い八重のムクゲ=居士林
ワレモコウも咲いていたが、風になぎ倒されて地べたに伏せたままになっている=居士林
咲いてる花がほとんどないものだから…=居士林
龍隠庵ではホテイアオイがポツンと咲いていた
最近住職の姿を見かけなくなったし、賽銭箱が片付けられたりして、なんだか様子がおかしい
水鉢にメダカがいた
ここに行けば花があるだろうと足を向けた松嶺院だが、公開は9月11日からだった
なんてこった…