見出しの写真は円覚寺居士林のモミジ。青空に薄くピンクに染まったタネが映えて若葉とのコントラストもよく、とてもきれいだった。
この実は「モミジのプロペラ」とか「モミジのヘリコプター」などと呼ばれているが、ここに至る前の花の段階というのをしげしげ見たことがない。
つまり「モミジの花」というものをまだ見たことがなく、プロペラになって初めてその存在に気付くだけというのも、何かぼんやり生きているようで居心地がよくないので、来年はぜひ確かめてみたいと思う。
昨日は午前8時から日曜坐禅会があり、いつもの奇数日曜日の通り、横田南嶺管長の「盤珪禅師語録」の提唱を聞きながら坐禅をしてきた。
盤珪禅師という禅僧は江戸時代の人で、「人は皆生まれながらに仏心を持って生まれてきている。つまり迷いさえしなければそのまま仏であるから、悟りを開く必要もなく、一切が整うのだ。『不生の仏心』という」と説いた。
盤珪禅師以前の禅宗は漢語を使った難解な教義で知られ、庶民には歯が立たないものだったのを日常使う分かりやすい言葉で教え諭し、大名から庶民に至るまで、多くの信者を得たという点で特筆されている人だそうだ。
在家で、土曜日や日曜日に時間が取れたら坐禅をしようというような人間相手にはこの盤珪禅師語録は格好の教材なわけで、おかげで「不生の仏心」は既に耳にタコとなって収まっている。
で、そもそも「仏心」というのは「慈悲の心」のことなのだが、不生の仏心が耳タコになっても実際の行動になかなか投影されないところが、まぁボクという人間のボクたる所以であることは何となく自覚しているところで、これじゃァ何時まで坐禅を続けたって何も変わらないじゃん…という忸怩たる思いがある。そのことは自嘲気味に記しておこうと思う。
以上終わり。次の話題。
黄梅院門前に掲げられた横田南嶺管長揮毫による坂村真民の詩
ボクの生もこれから?
黄梅院の境内には端境期なのだろう、咲いている花は少なく、ボクの頭の位置で咲いているアジサイの仲間のような白い花が目についたくらい
居士林裏の龍隠庵に通じる崖にイワタバコの葉がつややかに芽吹いている
6月に入ると紫色の花を壁一面に咲かせる。県道を挟んだ東慶寺のイワタバコの群落は素晴らしいが、ここはまだ小規模
3日に目久尻川の土手で見かけた野の花がこんな岩の隙間から生えて花を咲かせている=龍隠庵
龍隠庵の庭にはまるで園芸品種であるかのようにまとまって咲いている。名前は?
人混みを避けて浄智寺脇から山道に入り葛原ヶ丘を抜けて帰ったが、いつもと違ってハイカーたちでにぎわっていた。小学生に追い抜かれた!
葛原ヶ丘はよく風が通る。去年はここで坐禅の帰りに玉コンニャクをつまみに缶ビールを飲んでいたらホトトギスの初音を聞いたのだ。もうそろそろ聞こえてきても良い時期だと思うのだが…
思うところあって大仏ハイキングコースの途中にある「007」の映画に登場したレストランで生ビールを飲もうとしたのだが、テーブルは空いているのに待っている人が大勢いて止めた。並んで待つほどのことでもない。玉コンニャクでグビリにしておけばよかったが後の祭り
わが家の近所まで戻ると崖一面にウツギの白い花が満開
♪ 卯の花の 匂う垣根に 時鳥 早も来鳴きて 忍び音もらす 夏は来ぬ
♪ 忍び音もらす…って、声を潜めるような鳴き声なんだろう?
そもそも潜めて鳴くような鳴き声が実際に聞こえるのかしらん。生まれてこの方聞いたことないぞ!
佐々木信綱さんは聞いたことあるんだろうか。あるんだろうね。
それにしても、アノのけたたましい「トーキョートッキョキョカキョク」の甲高い鳴き声の主が忍び音をねぇ~
もしかして恋の季節の逢引ってやつかい? ならわかるけど…
歌詞の通りだとすると、もうやって来ていて忍び音しか漏らさない時期ってことか、今は。
あのけたたましい鳴き声は恋の成就の後の満足げな凱歌ってわけか
う~む
今朝の「空蝉」
色の違いは上がお姉さん、下が妹って感じ
色があせるなんて言ってないからね、念のため!